◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
土佐の森・文芸 幕末足軽物語(南寿吉著)
[関連話]
土佐の中村◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

中村は戦国時代に一条氏という京の名門公家が応仁の乱(1467年に始まった)の混乱を避け、移り住んだ公家大名の領地(荘園)であった。
戦乱は全国に及び中村もこの渦に巻きこまれる。その結果四国全域を制覇した長宗我部<ちょうそがべ>氏により一条氏も滅亡する。
長宗我部氏は豊臣恩顧の家となっていたから関が原では当然豊臣方として参陣し敗北、豊臣の軍門に下る。大きな戦闘もないまま、圧倒された。
その結果、四国の覇者の地位から陥落し、長宗我部はもとの土佐一国に押し込められる。
家康側についた山内氏が長宗我部氏を追い出し戦勝の褒美として1601年、土佐に入る。
山内氏は掛川5万石のローカル武将から一国一城の主となり、24万石を束ねることになる。おおよそ5倍増だ。
中村は一条氏のあと、長宗我部氏の家臣が管理していたが滅亡敗退により山内氏の管理下に入る。
《
樋口家のルーツは土佐のローカル武将・安芸国虎を介して、一条氏、長宗我部氏、山内氏と繋がりがあった。》
樋口家のルーツ(融通無碍/関連話)
土佐中村の四万十川百人一首/田中全氏
晴れ渡った秋空と一片の雲と赤鉄橋(四万十市中村)
赤き鉄橋渡れば祖父母住む町と思ひしよ物心つきし頃より(富岡純子/四万十川百人一首より)
============
中村は田舎だが、情報過疎地であったわけではない。
樋口家の高知の親せきが商用・公用で大坂とか江戸に行くことがある。都会での見聞はその都度「特派員報告」のような形で中村の樋口にも知らされた。
本人帰国時に歓迎されるのは『土産と土産話、道中体験談』。
土佐は四国の伊予、宇和島、讃岐そして阿波とは交流が少ない。この領民同士の自由な交流を藩が嫌ったせいもある。
自然的条件も、聳え立つ険阻な山々と荒海が人々の自由な往来をはばんだ。
しかし、
海の道は広い世間につながっている。
海は広い世間と結ばれている。
土佐中村の町並み(NHK動画)四万十川がゆったりと流れる町**************
ブログ
土佐の森・文芸/融通無碍

編集・発行
土佐の森グループ/ブログ事務局
**************

元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)2021.01.01.23.59