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土佐の森・文芸 融通無碍
[人物評伝]
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来島又兵衛(1817~1864)
樋口真吉(1815~1870)

文化14年、長門国厚狭郡西高泊村、無給通組の下士・喜多村政倫の次男として生まれる。
天保7年、大津郡俵山村の大組(八組)の上士・来島政常(又兵衛)の婿養子となる。
天保12年、柳川藩の大石神影流の創始者大石進に剣術を学んだ。
弘化3年、江戸に出て剣術修行に励む。
文久3年、藩命により猟師を集めた狙撃隊を率いて上洛。
「8月18日の政変」で尊王攘夷派が追放されると萩に戻り、高杉晋作が奇兵隊を創設したのに触発されて、来島又兵衛は町人・農民・諸藩の浪士らで遊撃隊を組織した。自ら総督となり長州藩諸隊と互いに連携して国事にあたった。
8月18日の政変(融通無碍/関連話)
奇兵隊の高杉晋作/戦場で三味線
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遊撃隊には土佐藩を脱藩した
中島信行、
上田宗児、
桑原禮作らが参加している。
中島信行(融通無碍/人物評伝)上田宗児(融通無碍/人物評伝)桑原禮作(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
元治元年、来島又兵衛は風折烏帽子に先祖伝来の甲冑を着込み遊撃隊600名の兵を率いて上洛、蛤御門で激戦を繰り広げた。
蛤御門の戦いで、薩摩藩銃撃隊・川路利良に胸を撃ちぬかれ死亡。享年48。
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[融通無碍]
来島又兵衛は尊皇攘夷派の長州藩士。
真吉とは大石神陰流の同門で肝胆相照らす間柄。
来島又兵衛は真吉より2歳若い。剣も槍も使える。大石流への入門も天保12年と互いに接近している。
今の世をどう見るか、どう行動するかについてざっくりと話したら、凡庸でない見識の持ち主であることを互いに確認した。
2人は藩と身分の違いを乗り越えてやっていこうと誓いあっていた。志有る者は同志を知るから。先のことは分からぬが道が違っても同じ方向に進む予感があった。
のちに来島又兵衛は自己の主張を貫きとおして、
蛤御門の変(=禁門の変)で討ち死にする。
蛤御門の変(融通無碍/関連話)蛤御門の変<詳報>(融通無碍/関連話)蛤御門の前で薩摩兵の銃弾で胸を撃ち抜かれ、死期を悟り喉を自分の槍で刺し、甥・喜多村武七の介錯を受けた。
元治元年7月19日のことで、享年48。
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幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP127>
嘉永5年8月、真吉が日本漫遊の旅(大坂→江戸、江戸→土佐の長期間共に旅行)の途中、長州の藩校・明倫館に立ち寄ったときのこと。
日本漫遊の旅(融通無碍/第11話)・・・・・・・・・・・・・
嘉永5年8月10日
明倫館から肩衣着用(礼服である)の使者・小寺某が提灯二張り提げて来る。明倫館本締役と名乗る。
旧来の朋友・来島光次郎が又兵衛と
改名して来訪する。来島又兵衛とは大石道場の同門で、肩衣を着用して堂々たる姿。
改名(革名)について(融通無碍/関連話)来島又兵衛とは大石神陰流の同門で旧知の間柄だが、
「当藩剣家の五本指の一人だ」と明倫館の役人から説明を受け、黙ってうなずく。
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《融通無碍》
真吉と来島は肝胆相照らす間柄だが、他に知れると不都合を生じる恐れがあり、ここでは知らぬふりを極め込む。
『その二人昼間ものいわず』《噂が広まる中、いい仲の2人は眼も合わさず口も何きかず隠し通す=古川柳》ということだ。
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※ここで余談(脱線話)
来島は壮絶な戦死を遂げたが、意外な恐妻家だったという。
それを知って筆者が意外な思いに沈んだ。
真吉とは生まれ年も大石入門時期も近い。長州藩の剣術界では五本指に入る豪傑。
しかし、禁門の変に参加するため、長州の実家で「どうか出陣させてくれ。帰ったらもう二度と無茶はしない。大人しくする。お願いだ。頼む」と妻に懇願した、という。
イメージは狂うが男らしくていい。人間らしくていい。
しかも妻は「いい年こいて一体なにですか」と答え賛成しなかった。正に婦唱夫随(?)のおしどり夫婦だ。
われわれは豪傑は家庭でも亭主関白だと思い込むがそうとは限らない。
勇猛果敢にイノシシに向かう猟犬、日頃から猛々しい犬を想像するが猟師に聞くと「いや。かえって主人に甘えるような大人しい犬の方が大物に飛び掛って行くもんですよ。逆に強気そのものの犬は攻撃できず、尻尾を巻いていることが多いくらいです」(筆者が実際に現場で聞いた話。)
想像をたくましくするより、現場に出ろ。

真吉の戊辰戦争中に横浜で撮影された写真を見る。
痩せ型でなで肩。筋肉モリモリではない。ゆったりとした姿勢。動ではなく静、剛ではなく柔。眼を見開いた肉食獣ではなく、柔和な優しい眼の牛と馬。
筆者は決して真吉を崇拝する者ではない。負のイメージを作る逸話も探したが見つからない。
この書き物は真吉教徒を作る、増やすことを目的とはしていない。どうぞ誤解なきように、と言うのみ。
歴史の沈黙の海に沈んだ人、歴史の静寂の森に消えた人。その生き様を伝えたい。
過去の上にある現在、その延長線上にあるであろう将来を思ってほしいと願う。
大脱線になった。列車も軌道も大破した。気を取り直して、物語は「出発進行」する。
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元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)2023.08.01.22.47