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土佐の森・文芸 幕末足軽物語(南寿吉著)
[関連話]
北山越え<大名行列>◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「北山道」と呼ばれる参勤交代の道が残っている。高知城から見て「北の方に抜ける道」ということから「北山道」と言われるようになった。
幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP175>
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文久2年6月21日
御詮議の上、今回の上洛につき殿へのお供を許される。(「御供達御歩行」として)
役料として3人扶持、切米8石を給されることになる。また当分御歩行小頭場兼帯勤めを命ぜられる。
よく分からないが足軽の幹部になったようだ。待遇はだいぶ良くなっただろう。
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文久2年6月22日
高知城二の丸の玄関で土佐藩主・
山内豊範とのお目通りを許される。
真吉は48歳にして初めて殿様の顔を見た。否、見ることは許されなかった。
謁見は身分次第。通常、足軽は殿の顔を拝むことは不可能だった。
今回の昇格でやっと実現した。
山内豊範(融通無碍/人物評伝)======
《融通無碍》
どうなんだろうか、真吉の胸の内。
藩主の尊顔を拝し奉り・・・・。
天にも登る感激だったか、それとも淡々と親玉の顔を目という器官を使って認識したか。
読者も想像してほしい。
多分樋口家歴代には誰も叶わなかった藩主との顔合わせ。
身分差別に甘んじる境遇の者が思わぬ昇任をしてこのような経験をしたとき、どのような感慨をもつのか。
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文久2年6月28日
大名行列の出発だ。列の中ほどにあった殿様の駕籠が城を出る。
最初の夜は城下を少し離れた『布師田<ぬのしだ>の御殿』に泊まる。
足馴らしというか、行列が布師田で休むのは習慣であった。帰りも同様である。
お国入りの際には衣装を整え威風堂々の晴れ姿を領民に見せる必要もあった。
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文久2年6月29日
本山(本山町本山)に御宿。
この日は雨中を国見峠と蒟蒻<こんにゃく>峠を越した。国見峠は藩主も乗り物を降り、歩行(=徒歩<かちあるき>)したが生憎の雨で山路は泥だらけ、殿様も汚れた。滑りやすかったから大変だった。
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文久2年6月30日
この日慰労のため、途中で真吉ら随従者に酒が配られた。
藩主は立川(大豊町立川)御殿にお泊り。

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《融通無碍》
立川御殿は今も同地にある。文化財に指定され大豊町の管理下、日を定めて一般公開されている。
立川は大豊町でも辺境の土地だ。
筆者も行くが日が合わず、一度も内部を見る能あたわず、外観拝見で我慢している。コスモスが咲く頃が好機か。
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文久2年7月1日
立川を早発し、笹ヶ峰の峠で夜明けを迎えた。この峠が伊予との境だ。
土佐側からの登りは急峻で刀をまともに差すと柄が傾斜地の地面に触れ汚れてしまう。仕方なく刀の柄を身体に密着するように差すと『腹包丁』だ。こう呼んで自分たちの無様な姿を自嘲した。
伊予領分の馬立を経由して川江<かわのえ>に御宿。
この日真吉は非番。移動距離七里半十二丁(約31km)。
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土佐の森・文芸/融通無碍

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元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)2022.04.01.23.57