平井収二郎は竜馬と同年生まれで親交が深く、収二郎の妹・加尾は龍馬の初恋の人という説がある。文久三年(1863)6月に収二郎が切腹させられると龍馬は姉・乙女宛ての手紙で「平井収二郎のことは誠にむごい、妹の加尾の嘆きはいかばかりか」と加尾を案じている。

NHK大河ドラマ龍馬伝(竜馬<福山雅治>と加尾<広末涼子>と平井収二郎)
馴しミ国の 春なわすれそ(NHK動画)・・・・・・・・・・・・
◆伊豆・下田でのこと

《日記・遣倦録より》
<「幕末足軽物語/樋口真吉伝完結編」ではP209>
文久3年1月15日
伊豆下田・宝福寺で行なわれた土佐藩主山内容堂と幕臣・勝海舟(麟太郎)との会談。この話し合いで龍馬脱藩の罪が許されることに。
[融通無碍/第4話]伊豆・下田でのこと・・・・・・・・・・・
◆龍馬、御叱りの上帰国御免
《日記・遣倦録より》
<「幕末足軽物語/樋口真吉伝完結編」ではP221>
文久3年2月25日
坂本竜馬、御叱りの上帰国御免。竜馬はさきに亡命せる者なり。御聴に入り御宥恕仰せ付けられる。
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[融通無碍]
龍馬の脱藩の罪は消えた。容堂が直に赦免を命じたのだ。この決定は重い。覆す者は存在しない。
龍馬は今後自由に天空を天駆ける翼ともいうべきものを得た。龍馬という馬が翼をえてペガサスとなった瞬間だ。

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◆いろは丸

《日記・遣倦録より》
<「幕末足軽物語/樋口真吉伝完結編」ではP282>
慶応3年5月26日
「大洲船を借りて器械を長崎から運ぶ途中、箱の岬で紀州船と衝突して沈められた」という報せが届いた。
4月23日夜の事故。龍馬が大洲藩から借りたいろは丸が紀州船と衝突した。
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[融通無碍]
いろは丸事件(融通無碍/関連話)・・・・・・・・・・・
◆龍馬が帰郷

《日記・遣倦録より》
<「幕末足軽物語/樋口真吉伝完結編」ではP296>
慶応3年10月10日
才谷楳太郎(=坂本龍馬)が長崎から長州、土佐を経て上京した。
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[融通無碍]
龍馬は長崎で買い込んだ大量の新式銃を蒸気船・震天丸に載せ長州に寄港した後、四国の西南端の足摺岬を回り高知の浦戸湾に船を停泊。
土佐藩は平和路線を取っているも、事態はどう転ぶか予測できない。和にしろ戦にしろ武器は必要だった。
龍馬は藩幹部
・渡辺弥久馬と接触して好感触を得たから、直接交渉に踏み切り五台山下の料亭で懇談。結果、藩の銃購入が決まった。
渡辺弥久馬(融通無碍/人物評伝)渡辺は龍馬に帰宅を勧める。脱藩以来初めての帰宅だった。
売却代金の他に謝礼も追加され、自宅で開かれた龍馬帰郷の祝いの席で、姉・乙女らに気前良く分け与えた。脱藩者が秘密裏に、公然に近い形で帰郷した。
龍馬 最後の帰郷(NHK動画)その後龍馬は上京するが船の故障もあって須崎に舞い戻り別船に乗り換える等予定を狂わせながら大坂へ入港を果たす。
11月15日に京都で暗殺されるから、長崎から始まり大坂で終わるこの船旅は途中高知を経由したとなる。死の直前に福井に行くがこれは陸路だった。龍馬は死ぬために京都に入った。目的は大政奉還の画策。
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◆大政奉還
大政奉還~竜馬暗殺まで(融通無碍/南史観<私観>)《日記・遣倦録より》
<「幕末足軽物語/樋口真吉伝完結編」ではP297>
慶応3年10月13日
幕府は二条城に諸藩を集める。集まった諸大名、その数四十余であった。
王政復古(=大政奉還)を布告する紙面が参加者に配られる。
大政奉還 歴史を動かした龍馬たち(NHK動画)・・・・・・・・・・・
◆届かなかった手紙

《日記・遣倦録より》
<「幕末足軽物語/樋口真吉伝完結編」ではP298>
慶応3年10月19日
望月清平が勅書を持って帰国する。下横目・俊太郎も同行する。
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[融通無碍]
この前日(18日)、清平はすぐ近くの町屋・近江屋に潜伏する
龍馬からの手紙を受け取っていた。
その中身は大要で
「今、住む近江屋が危険なことは承知。だが薩摩の世話になるのもまずい。真吉に頼んで安全な隠れ家を探してくれ」というものであった。
届かなかった手紙(融通無碍/関連話)・・・・・・・・・・・
◆龍馬暗殺
《日記・遣倦録より》
<「幕末足軽物語/樋口真吉伝完結編」ではP300>
慶応3年11月15日
龍馬と慎太郎が同じ日、同じ場所で刺客に攻撃され龍馬は即死、慎太郎は3日後死んだ。
龍馬暗殺(融通無碍/関連話)======
[融通無碍]
真吉はその死に様をだれかから聞いて、こう日記に書き残した。
龍馬暗殺/京都・近江屋(NHK動画)
近江屋
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◆竜馬暗殺復仇隊
《日記・遣倦録より》
<「幕末足軽物語/樋口真吉伝完結編」ではP302>
慶応3年12月7日
この夜、紀州の大奸・三浦休太郎を討つも死ななかった。
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[融通無碍]
竜馬暗殺復仇隊(融通無碍/関連話)・・・・・・・・・・・
◆丁卯上京誌
慶応3年(大政奉還がなされ、龍馬が暗殺された年)の真吉の日記である。
このとき真吉は、土佐藩京都藩邸で容堂の側近として仕えており、薩土盟約・大政奉還・龍馬暗殺などの生情報を記録している。
丁卯上京誌(融通無碍/関連話)**************
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土佐の森・文芸/融通無碍

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南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)2021.04.01.22.56