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土佐の森・文芸 融通無碍
[関連話]
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大鵬丸《
日記・遣倦録より》
幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP196>
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文久2年10月8日
真吉は「
西国筋探索御用」で立ち寄った長崎で、筑前・松本主殿<とのも>が船長を務める旧式の外国船・大鵬丸を見学した。
西国筋探索御用(融通無碍/関連話)大鵬丸は、船の長さが三十五間(約70m)、外車(船の両側に付けた水車の如きを回転させて進む=外輪船)、烟管(煙突)一個、鉄製のカルロン風の砲が五門、その台は百機山斯<へきさんす>風だ。銅製砲が一門、剣付き銃が十二挺、剣は十振り余りあった。
船の頭(船首)に魔威し(魔除けか)の鵬<おおとり>が付き、ドンドロスの覆いが掛けてある。蘭人・ヤンセンを棟梁として修復している。
◎この船は今年買い入れたもので値段は9万ドルだったという。
◎船は旧式でしかも古船だ。(こんな船を買うとは)筑前の失策だ。
《真吉は筑前の購入した船を見て=失策=と断じた》
高過ぎ、古過ぎると評価した。これは重要な評定だ。
不思議な運命の巡りあわせで、この年の暮れ、江戸でこの船に再会する。
土佐藩隠居・山内容堂の入洛に使う幕府の御用船としてだ。
この船が御用船(=御召し船)になるのを知って真吉はどう行動したか。

絵画「P.S. TAIHO MARU」/山高五郎画(所蔵:船の科学館)
大鵬丸は筑前国福岡藩主・黒田 長溥が長崎を拠点に活動したイギリス人商社「グラバー商会」の仲介で、アメリカから購入した外輪蒸気船。
真吉は長崎でこの船を見学(視察)しており、その際に「ボロ船」と酷評している。
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<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP208>
文久3年1月10日
真吉は『御隠居様御供』を以って蒸気船「大鵬丸」の乗船する。
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[融通無碍]
山内容堂の上洛は勅命で幕命(幕船・大鵬丸で海路で行くこと)も出ていた。
真吉は、ボロ船・大鵬丸での海路に危機をを感じ、陸路で行くことを進言、だが、幕命には逆らえず、陸路採用の進言は上書提出までに至らなかった。良いところまで行ったが不発であった。
しかし、真吉が反対した大鵬丸での航海が、その後偶然が重なり「龍馬赦免へ」と繋がるから、歴史とは機微があり面白く不可解なもの。(歴史に「もしも・・・」は、いらない。)
大鵬丸と龍馬赦免(融通無碍/関連話)伊豆・下田でのこと(融通無碍/関連話)・・・・・・・・・・・・
<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP213>
文久3年1月18日
曇り微雨、申の方(西南西)に向けて航海してきたが、朝方から亥の方(北北西)に転進して進むが山は見えず大雨になる。八つ(14時)ごろ志州鳥羽浦に達する。五十里(200km)進んで鳥羽に入った。上陸して常安寺(鳥羽市にある)に御宿。
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[融通無碍]
真吉はこの晩もまた、陸路を採れば勅掟(早急な上洛を求めている)に背き遅れる恐れがあるから海路にすべきだが、海上の天候は予想し難く、不測のの事態を考えれば陸路が妥当であると両者の得失も挙げながらも、陸路を勧める書面を
板垣退助と
小南五郎の両重役に示した。
両氏の反応は
「意見はもっともだが海路は幕命に従ったものだ」と譲らなかった。
書面はついに提出されず。
板垣退助(融通無碍/人物評伝)小南五郎(融通無碍/人物評伝)**************
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元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)2021.04.01.22.59