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土佐の森・文芸 融通無碍
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[第54話]
招賢閣/◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

長州・三田尻にあるこの大きな建物は毛利家が旅行時の宿舎として使ったり、前藩主の隠居所になった時<こと>もある。
文久3年「
8月18日の政変」により、
三条実美ら七卿が都落ちしてここに住んだことから、その一角を会議室として用いるようになった。これを「招賢閣」と呼んだ。
8月18日の政変(融通無碍/関連話)三条実美(融通無碍/人物評伝)
七卿落ちで三條実美ら公家7人が長州へ向かう
招賢閣は諸藩の志士(浪士、脱藩者、その他諸々)が集まる空間だった。
文久2年10月、真吉も谷干城と「
西国筋探索御用」の帰途に訪れている。
西国筋探索御用(融通無碍/関連話)招賢閣に泊まる(融通無碍/関連話)その後、元治元年に蛤御門<はまぐりごもん>の騒動があり、朝幕の意向を憚<はばかって>閉鎖された。
招賢閣を訪れた人々に関する記録(真吉と干城の記録もある)は、薩摩の仕送り商人・
白石正一郎の筆になる。
しかし、これは後世の改ざんが多く
異本が幾種類も存在するという。

白石正一郎
白石正一郎(融通無碍/人物評伝)======
[融通無碍]
◆異本のこと
真吉はこのような動き(異本の存在)を予測し、種々の異本をみずから作ったとすれば、何と周到な人であろうか。驚嘆するのみ。
改ざん者の目の届かない所に別本があれば見落とす可能性が高まる。
土佐勤王加盟者名簿も異本が多数存在する。
岡田以蔵の名が削られたのは有名だが、この事実は
「岡田以蔵は悪党でどうしようもない奴だ。抹消する」という判断が圧倒的多数を占めている組織・時期に抹消されたことを如実に示す。
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◆招賢閣の掟(滞在者心得)
長州藩主の旨趣(=趣旨)をわきまえ藩の大憲を取り違えないよう心得ること
追って命令するが、全て天下の大事に関係するから必ず遵守すること
①来訪・滞在する人々は自他の差なく一心同体で交際すること
②五ツ時(8時)から九ツ時(12時)まで文武を修練すること
③3、6の付く日は、操練(=軍事訓練)すること
④5、10の付く日は、休日とする
⑤館門(招賢閣への出入り口)通過の際は会議所に届けること
⑥門限は暮れ六ツ(18時)。
但し稽古時間中は外出禁止。もっとも、止む得ない事情がある場合は担当者に断って出門すべきこと
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文久3年9月
土佐藩で土佐勤王党への弾圧が始まると弾圧対象の
中岡慎太郎は脱藩、長州藩に亡命した。
長州では招賢閣にとどまり、以後同じ境遇の脱藩志士たちのまとめ役となった。
中岡慎太郎(融通無碍/人物評伝) 慎太郎は
招賢閣の会議員になって、尊皇攘夷派浪士たちの指導的役割を担う志士として本格的な活動を行っていった。
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[融通無碍]
◆招賢閣とは・・・
長州藩と朝廷内の尊皇攘夷派を排除するためのクーデター(8月18日の政変/七郷落ち)で、三条実美をはじめ七卿が都落ちをして来た時の宿所であり、脱藩の志士達の議論の場となった場所。
蛤御門の変(NHK動画)長州藩は七卿を賓客として迎え入れ、公邸である三田尻御茶屋の招賢閣を七郷の居館とした。

白石正一郎旧宅跡<奇兵隊結成の地> (下関)
招賢閣は豪商・白石正一郎の邸宅でもあり、当時は全国の脱藩の志士達がたむろする<情報を交換する、議論をする>場所になっていた。高杉晋作の奇兵隊が結成された場所としても知られる。
中岡慎太郎が、招賢閣の会議員として尊皇攘夷派浪士たちの指導的役割を担う活動をしていた。慎太郎は土佐で土佐勤王党が排斥されたこともあり、これから以後、七卿の傘下として動くことになる。
七卿は招賢閣で長州藩の奇兵隊を護衛とし、高杉晋作らと武力上京について協議している。
また、中岡慎太郎は京都の公家と三条実美を提携させることを模索していた。その連携相手がかつての政敵である
岩倉具視であった。実美は岩倉がかつての「大姦物」であると難色を示したが、岩倉の縁戚である東久世通禧の説得で提携を受け入れた。
中岡慎太郎は、これを契機に
三条実美の随臣(衛士)となり、朝廷とも繋がりを持つことになる。

三条実美

岩倉具視
岩倉具視(融通無碍/人物評伝) 岩倉具視(NHK動画)◆岩倉具視が孝明天皇に提出した上申書(安政7年4月)
皇国の危機を救うためには、朝廷の下で人心を取り戻し、世論公論に基づいた政治を行わねばならないが、この収復は急いではならない。急げば内乱となる。今は「公武一和」を天下に示すべき。
政治的決定は朝廷、その執行は幕府があたるという体制を構築すべきである。
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