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土佐の森・文芸 融通無碍
[関連話]
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慶応元年5月11日
武市半平太は屠腹<とふく>(=切腹)を命じられた。
武市半平太(融通無碍/人物評伝)瑞山神社(NHK動画)ーーーーーーーー
武市半平太の切腹は南会所大広庭で、未だ誰も為しえなかったとさえ言われてきた三文字割腹の法を用いて、法式通り腹を3度かっさばいた後、前のめりになったところを両脇から2名の介錯人により心臓を突かせて絶命したといわれる。
介錯人をつとめたのは
島村寿太郎と
小笠原保馬だった。
島村寿太郎(融通無碍/人物評伝)小笠原保馬(融通無碍/人物評伝)西山志澄らが武市半平太の遺骸を長棒の駕籠に乗せ武市半平太の自宅まで運んでいる。
西山志澄(融通無碍/人物評伝)ーーーーーーーー
《融通無碍》
◆武市半平太が切腹
武市を失って
土佐勤王党は盟主不在となる。
土佐勤王党(融通無碍/関連話)真吉と土佐勤王党(融通無碍/関連話)
土佐勤王党の結成(NHK動画)~~~~~~~~~~
武市半平太の切腹の有様は立派であったようで関係者の賞賛を呼んだ。「花は散り際」という美学あったから武士は死に様で評価され、それがみにくい場合、過去の功績を台無しにした。
真吉は勤王という点ではかれと同調したが、その実現方法では大いに意見を異にした。執政・吉田東洋の暗殺計画は知っていたが積極的に参加しなかった。否、嫌悪したと言った方がいいだろう。
吉田東洋は
山内容堂の『お気に入り人物』である。
その見識、行動力とも山内容堂は最高評価を与え、山内容堂自身「東洋先生」と呼び、尊敬措くあたわ>ざる人格者であった。
その言動に容堂は憧れるような視線を投げた。激情に駆られる性格は両者に共通するから、なお一層吉田東洋への愛着は君臣の範囲を超えて深かった。
一方「意見が異なるなら排除せよ」は真吉にはありえないことで、武市半平太はそういう意味では「対岸の人」だった。
吉田東洋(融通無碍/人物評伝)東洋の改革(融通無碍/関連話)真吉と半平太と吉田東洋(融通無碍/関連話)吉田東洋の鶴田塾(NHK動画)
愛用の玻璃酒杯を片手にあぐらをかく鯨海酔侯山内容堂公/高知市鏡川畔山内神社
山内容堂(融通無碍/人物評伝)山内神社(NHK動画)**************
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土佐の森・文芸/融通無碍

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元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)2023.08.01.23.43
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