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土佐の森・文芸 融通無碍
[人物評伝]
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大石団蔵(1831~1896)
樋口真吉(1815~1870)

天保2年、土佐国香美郡野市村の土佐藩郷士・大石磯平の長男として生まれる。父の没後、家督を継承して久板台場小頭役などを務めた。
妻は
山本喜三之進の妹。
山本喜三之進(融通無碍/人物評伝)土佐勤王党NO2の
大石彌太郎は従兄弟。
大石彌太郎(融通無碍/人物評伝>)~~~~~~~~~~
文久元年、土佐勤王党に加盟。
武市半平太(融通無碍/人物評伝>)この時期、久坂玄瑞への元には武市半平太の使者として、
坂本龍馬、
吉村虎太郎が長州に赴いている。
坂本龍馬/坂竜飛騰(融通無碍/人物評伝)吉村虎太郎(融通無碍/人物評伝) 12月には、武市半平太の密使として山本喜三之進と長州を訪れる。武市半平太の意向を久坂玄瑞に伝えるとともに高杉晋作、中谷正亮、大楽源太郎らと会談。
山本喜三之進と大石団蔵が長州を去るとき託された久坂玄瑞から武市半平太に宛てたの手紙(12月21日付)に
「尊藩御事も二君(山本喜三之進、大石団蔵)より承り候処、何とも御苦労の段察し奉り候」とある。
また、年が明けた文久2年1月、久坂玄瑞から武市半平太に宛てた手紙(1月21日付)にも
「其後は如何被為在候や、此内は山本[喜三之進]・大石[団蔵]君御来訪下せられ、何ら風景も之無く、御気の毒千万存じ奉り候。最早、御帰国ならんと御察し仕り候。此度、坂本君御出浮在らせられ腹蔵無く御談合仕り候頃、委曲御聞取り願い奉り候。」とある。
その後大石団蔵は薩摩を訪れ探索している。
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文久2年4月、
那須信吾・
安岡嘉助と計って、高知城下で土佐藩参政の
吉田東洋を暗殺、首級を鏡川河原に晒す。
那須信吾(融通無碍/人物評伝) 安岡嘉助(融通無碍/人物評伝) 吉田東洋(融通無碍/人物評伝)
3人はそのまま脱藩して京都の長州藩邸に逃げ込み、久坂玄瑞に保護されている。
那須信吾・安岡嘉助は
天誅組に参加、吉村虎太郎と行動をともにすることになるが、大石団蔵は天誅組には参加せず薩摩藩邸に移り薩摩藩の保護下に入っている。
天誅組(融通無碍/関連話)その後、大石団蔵は薩摩藩士・奈良原繁の養子となり、薩摩藩士として活動することに。名前も「高見弥市」と改名した。
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慶応元年、薩摩藩第一次英国留学生に選抜され、五代友厚らとともにイギリスへ密留学する。
イギリスでは森有礼と下宿を共にしながら測量や機関学、数学を学び、慶応3年に帰国。
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維新後は鹿児島県立中学造士館で数学教師となった。

若き薩摩の群像(薩摩藩がイギリスへ派遣した留学生一行の像)
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[甲南高校/鹿児島市HPより]
◆高見弥一(=大石団蔵)のこと
土佐藩の出身で,尊皇攘夷派の土佐勤王党の一員として吉田東洋暗殺事件を起こし,薩摩藩邸に匿われた
大石団蔵。
薩摩藩に取り立てられて後,高見弥一を名乗りました。
イギリスから帰国後,いったんは明治政府に出仕し,大阪運上所勤務を命ぜられますが,明治5年(1872)には鹿児島に戻り,その後鹿児島で算術教員として過ごしました。明治29年(1896)2月28日鹿児島で死去。享年52。
吉田東洋暗殺事件は,過去の大河ドラマでも取り上げられています。
当時土佐藩の参政を務めていた吉田東洋を,意見が対立していた土佐勤王党の武市半平太が大石(高見)・那須・安岡の三人を刺客に選び暗殺したとされています。
さらにネット上でも記事がけっこう出てきます。要約するとこんな感じです。
事件後土佐藩の追っ手に追われると,当時京都に居た長州藩の久坂玄瑞の元を頼り,久坂によってその身柄を薩摩藩に預けられ,その間に親しくなった薩摩藩士・奈良原喜八郎の養子となり名前を高見弥市と変えて,薩摩藩に召し抱えられることになった。
薩摩藩に亡命した高見は,元治元(1864)年6月に薩摩藩が設立した洋学教育学校「開成所」の諸生に選抜された。この開成所諸生に選ばれた者は,薩摩藩の藩校「造士館」などから選び抜かれた俊才ばかりであり,高見が元土佐人でありながら,その諸生に選ばれたのは異例のことであった。さらに高見が英国留学生一員として推薦された事実を考えあわせると,開成所では非常に優秀な成績を残していたことが窺い知れる。
維新後は鹿児島県立中学造士館で数学教師として教鞭をとる。
明治25年(1892)には,沖縄県知事に就任した奈良原繁に従い沖縄県庁に勤めるが,やがて辞職して鹿児島へ帰った。
この中学造士館は甲南高校の前身である鹿児島第二中学校の元になった学校です。
その意味で高見弥市は本校にとっては身近な存在です。
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元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)2023.06.01.22.28