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土佐の森・文芸 融通無碍
[人物評伝]
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望月亀弥太(1838~1864)
樋口真吉(1815~1870)

天保9年、土佐郡小高坂村西町の白札下士であった望月団右衛門の次男としてに生まれる。兄は
望月清平。
望月清平(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
文久元年、
武市半平太の土佐勤王党に加盟し<血判盟約書には署名していない>、勤王活動を始める。
武市半平太(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
文久2年、望月亀弥太は
山内容堂を警護する
五十人組に参加。
山内容堂(融通無碍/人物評伝)五十人組(融通無碍/関連話)五十人組の一行(中岡慎太郎、千屋寅之助、安岡金馬ら)は徒党を組んで東海道を下り江戸へ。
江戸に向かっていた真吉と、桑名で出会った。手短に両者は会話を交わしたか。阿吽の呼吸で「すべて了解。」
中岡慎太郎(融通無碍/人物評伝)千屋寅之助(融通無碍/人物評伝)安岡金馬(融通無碍/人物評伝)
幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編・・・・・・・・・・・・
<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP203>
文久2年11月6日、
桑名に宿す。高知から田所島太郎ら50人の一行と同宿する。
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望月亀弥太は江戸で幕臣・
勝海舟の弟子となる。
髙松太郎や千屋寅之助とともに航海術などを学ぶ。
勝海舟(融通無碍/人物評伝)高松太郎(融通無碍/人物評伝)その後、勝の進言によって幕府が神戸に設置した
神戸海軍操練所に参加することに。
神戸海軍操練所(融通無碍/関連話)~~~~~~~~~~~
文久3年、伊豆・下田/宝福寺で前土佐藩主・山内容堂と幕臣・勝海舟(麟太郎)との会談が行なわれた。
望月亀彌太はこの会談に、勝海舟の随行者として
高松太郎、千屋寅之助とともに同席している。
<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP209>
文久3年1月15日、
滞泊する。真吉は蓮代寺温泉(静岡県下田市蓮台寺温泉)温泉に浸かる。
攝海(大阪湾)を出航した蒸気式幕船(=順動丸)が入港して来た。この船は勝麟太郎が乗り組んでいる。わが藩の①高松太郎②千屋虎之助③望月亀彌太も航海術修行のためこの船に乗っている。

伊豆・下田の宝福寺
伊豆・下田でのこと(融通無碍/第4話)
伊豆・下田の宝福寺
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元治元年、藩より帰国命令が出されたため脱藩して長州藩邸に潜伏。長州藩の過激尊皇志士達と交流を続ける。
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元治元年6月5日、
新撰組による
池田屋騒動に遭遇。
京都の池田屋に集まった勤王の浪士達を会津藩の指揮下にあった
新撰組が事前に集合情報を入手、襲撃した。浪士側は9人が死亡、6人が捕縛された。
池田屋騒動(融通無碍/関連話)新撰組(融通無碍/関連話)土佐藩の志士は、
北添佶摩(闘死)、
石川潤次郎(闘死)、伊藤弘長(闘死)、越智正之(闘死)、望月亀弥太(脱出後自刃)が犠牲になっている。
北添佶摩(融通無碍/人物評伝) 石川潤次郎(融通無碍/人物評伝) 池田屋を脱出した望月亀弥太は長州藩邸までたどり着いたが深手を負い力尽き自刃した。享年27。
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高知市旭水源町西に墓所があり、辞世の句
「行く秋によしおくるとも 紅のちりてぞ匂へ木々の紅葉」が刻まれている。
坂本龍馬も勝海舟も、その死を嘆いたという。
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南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)2021.04.01.23.53