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幕末足軽物語/融通無碍
[人物評伝]
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沢村惣之丞(1843~1868)
樋口真吉(1815~1870)

土佐国土佐郡潮江村(現高知県高知市)の浪人の子として生まれる。
間崎哲馬に師事し、学問を学ぶ。
同門の
宮地宜蔵、
吉村虎太郎と知り合い意気投合する。
間崎哲馬(融通無碍/人物評伝)宮地宜蔵(融通無碍/人物評伝)吉村虎太郎(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
文久元年、
土佐勤王党に加入した。
土佐勤王党(融通無碍/関連話)~~~~~~~~~~
文久2年、吉村寅太郎に誘われて、宮地宜蔵、
曽和伝左衛門らと脱藩を決意し決行する。(曽和伝左衛門は武市半平太の意向もあって脱藩を断念、藩内に留まる。)
曽和伝左衛門(融通無碍/人物評伝)武市半平太への現状報告のため一時帰国するが、その後坂本龍馬らと再び脱藩、その後は坂本龍馬と行動を共にし、
亀山社中、
海援隊の中核として龍馬の片腕となり股肱の活躍をおこなう。英語に長じ、海援隊では外人応接掛の重責を務めた。
武市半平太(融通無碍/人物評伝)亀山社中(幕末足軽物語/関連話)海援隊(幕末足軽物語/関連話)~~~~~~~~~~
慶応3年、
龍馬暗殺(近江屋事件)の際は、
陸奧宗光らと容疑者とされた紀州藩士・
三浦休太郎の暗殺計画を実行する。(
天満屋事件)
龍馬暗殺(融通無碍/関連話)陸奧宗光(融通無碍/人物評伝)三浦休太郎(融通無碍/人物評伝)天満屋事件<竜馬暗殺復仇隊>(融通無碍/関連話)~~~~~~~~~~
慶応4年、鳥羽伏見の戦いで幕府軍の敗北の報に接した長崎奉行・河津伊豆守が長崎を退去、江戸へ逃走した。

最後の長崎奉行・河津伊豆守祐邦
これを察知した長崎駐在の土佐藩重役・
佐々木高行は、沢村ら海援隊士を率いて
長崎奉行所を占拠し長崎の町と港を警備することに。
佐々木高行(=三四郎)(融通無碍/人物評伝)長崎奉行所(幕末足軽物語/関連話)その際、沢村惣之丞は酒を帯びた暴漢を射殺したが、後にこれが友好関係にあった薩摩藩士・川端平助だったことが判明した。
沢村惣之丞は薩摩藩との軋轢を恐れ、海援隊本部で、薩摩藩関係者の制止にもかかわらず割腹して果てた。享年26。
沢村の辞世の句。
生きて世に残るとしても生て世の有らむ限りの齢なるらめ
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元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)23.12.01.22.55.