◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
土佐の森・文芸 融通無碍
プレイバック/土佐の森・文芸
[第51話]
陸援隊◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
慶応3年7月、長崎で
坂本龍馬の
亀山社中が土佐藩の外郭機関(
海援隊)になったのに続き、京都で
中岡慎太郎が土佐藩付属の
陸援隊を結成した。
坂本龍馬(融通無碍/人物評伝)亀山社中(幕末足軽物語/関連話)海援隊(幕末足軽物語/関連話)中岡慎太郎(融通無碍/人物評伝) 土佐藩参政・
福岡孝弟は、藩是が公武合体から武力倒幕へと揺れ動く中で、海援隊と陸援隊とを併せて翔天隊とし、藩兵の軍制改革を構想していた。
福岡孝弟(融通無碍/人物評伝)陸援隊は京都白川の土佐藩邸を本拠とし、尊皇攘夷派の土佐藩、水戸藩の脱藩浪士が中心となり、隊士は総員77名であった。
薩摩藩から洋式軍学者・鈴木武五郎が派遣され、西洋式の軍事調練を行った。
ーーーーーーーー
【土佐藩の陸援隊士】
中岡慎太郎、大橋慎三(=
橋本鉄猪)、木村弁之進、山中敬造、田中健助(=
田中光顕) 、片岡源馬(=
那須守馬)、岩村精一郎(=
岩村高俊)、
斎原治一郎<いずはら>(=大江卓)、
本川安太郎、山脇太郎、松島和介、山崎喜都馬、豊永貫一郎、竹野虎太、藤沢潤次助、前島貢吉、
橋本鉄猪(融通無碍/人物評伝) 田中光顕(融通無碍/人物評伝)那須守馬(融通無碍/人物評伝)岩村高俊(融通無碍/人物評伝)斎原治一郎(融通無碍/人物評伝)本川安太郎(融通無碍/人物評伝)ーーーーーーーー
《
日記・遣倦録より》
幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP288>
・・・・・・・・・・・・
慶応3年7月27日
客兵(中岡慎太郎傘下の浪士達/26名=陸援隊、後に田中健助<=田中光顕ら12名が追加加入/真吉はその名簿を入手していた)を白川邸入り(陸援隊の屯所として使用)させることが決定する。
【白川邸に入った者の姓名】
横山勘蔵(=中岡慎太郎の変名) 津田良助 香川敬蔵 藤村四郎 大村貞助 中川秀之助 田部建助 中野幸輔 田崎敬助 三宅耕庵 川上邦之助 村林織之助 中村新太郎 伊藤源助 木村誠吉 山田小二郎 山本市郎 大橋慎三(=
橋本鉄猪) 山中敬造 田村十郎 早川金太郎 山本二郎 浦嶋三郎 木村弁之進 下村孝之進 坂田甚作
ーーーーーー
【追加で入った者の名簿=陸援隊名簿の追加】
田中健助(
佐川人、旧姓濱田で後の田中光顕<みつあき>である) 加志田孝之助 村田一斉 岡田半吉 西六条内 笹岡範蔵こと谷喜三郎=三河 松田誠蔵=同 小林三之助=同
村山健吉=三河 上田鉄斎=尾州 水野八郎=同 岡上只吉 羽江田洪平=薩
佐川のこと(融通無碍/関連話)村山健吉(融通無碍/人物評伝)(真吉情報は極めて正確だ。まだ公式には陸援隊の存在は認められていない。が、かれはすでに構成員名簿を入手していた。)
土佐藩の京都藩邸・白川邸(現京都大学農学部構内にあった)は、前年の慶応2年に福岡孝弟により購入され、結果的には陸援隊の屯所となった。
======
[融通無碍]
◆陸援隊の誕生
真吉は
佐々木高行と相談して、中岡慎太郎傘下の浪士達を白川邸に入れる。
佐々木高行(融通無碍/人物評伝)長崎の龍馬・海援隊と並び称される陸援隊の誕生である。
この決定について、佐々木高行自身『他日罪人となることは覚悟している』と書く危険な行動だった。佐々木高行の気概を見る思いがする。こういう人柄が友を作る。
ーーーーーーーー
[保古飛呂比/
佐々木高行日記]
(出典:
魚の目<魚住昭>)
白河邸に浪人を入れる(融通無碍/第67話)~~~~~~~~~~
慶応3年11月15日、陸援隊長の中岡慎太郎が暗殺されると、
板垣退助とともに武力倒幕を目論む土佐藩士・
谷干城、田中光顕らが陸援隊を統率した。(谷干城は龍馬らの暗殺時に土佐藩邸から真っ先に現場に駆けつけ、犯行は新撰組が絡んでいると瀕死の中岡慎太郎から聞いたという。)
板垣退助(融通無碍/人物評伝)谷干城(融通無碍/人物評伝)12月7日、慎太郎・龍馬暗殺の報復(仇討ち)で、陸援隊・海援隊の隊士らは新撰組に守られていた紀州藩士・三浦休太郎を襲った。(
天満屋事件)
天満屋事件<龍馬暗殺復仇隊>(融通無碍/関連話)12月8日、
岩倉具視の密命を受けて陸援隊は高野山に向かい、翌9日に
王政復古の大号令で発足した新政府に紀州藩を恭順させた。
岩倉具視(融通無碍/人物評伝)王政復古の大号令(融通無碍/第40話)
12月12日、中岡慎太郎が生前より長州藩士・伊藤俊輔らと計画し、岩倉具視や中山忠能らの賛同を受けた「鷲尾隆聚を擁して紀州高野山で挙兵する作戦」を陸援隊が実行した。
この作戦には、中岡慎太郎の死後に副隊長として陸援隊を率いた田中光顕、
池大六らが参加している。
池大六(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
慶応4年1月、鳥羽・伏見の戦いでは、高野山に滞陣して紀伊、大和の勢力を牽制した。(高野山挙兵)
戊辰戦争では、板垣退助率いる土佐藩の正規軍・
迅衝隊に吸収された。(谷干城は迅衝隊の小軍監/後に大軍監に昇格)
迅衝隊(融通無碍/第56話)慶応4年3月、
甲州勝沼の戦いで、
新選組から改名した甲陽鎮撫隊を撃破した。(後に近藤勇を捕えた際には、谷干城は龍馬の仇とばかりに斬首刑に処した。)
甲州勝沼の戦い(融通無碍/関連話)新撰組(融通無碍/関連話)*****************
ブログ
土佐の森・文芸/幕末足軽物語

編集・発行
土佐の森グループ/ブログ事務局
*****************
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)・・・・・・・・・
2024.12.31.20.52