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幕末足軽物語(南寿吉著)
[人物評伝]
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山本洪堂(1842~1899)
樋口真吉(1815~1870)

天保13年、福井藩医師の山本宗平の次男に生まれる。
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慶応2年、医術修行で大坂、京都、江戸と長崎を遊歴した。長崎で坂本龍馬と交遊し
亀山社中に入る。
亀山社中慶応2年12月20日付けの「龍馬の手紙(伊藤助太夫宛)」に山本洪堂の名前が出ている。
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慶応3年、
海援隊に参加、大坂において
陸奥宗光、
高松太郎らと商活動で活躍したほか、
長岡謙吉とともに海援隊の医官としての活動もしている。
海援隊陸奥宗光(融通無碍/<人物評伝>)高松太郎(融通無碍/<人物評伝>)長岡謙吉(融通無碍/<人物評伝>)・・・・・・・・・・
慶応3年11月15日、
龍馬が暗殺されると、これを直ぐさま長府藩の熊野直介へ報知した後、すぐさま
佐柳高次と下関に向かい
伊藤助太夫や
三吉慎蔵に伝えている。
佐柳高次(融通無碍/<人物評伝>)伊藤助太夫(融通無碍/<人物評伝>)三吉慎蔵(融通無碍/<人物評伝>)その後、
石田英吉、
中島信行らとともに長崎へ。
石田英吉(融通無碍/<人物評伝>)中島信行(融通無碍/<人物評伝>)~~~~~~~~~~
慶応4年、海援隊の
長崎奉行所占拠に参加した。
長崎奉行所長崎奉行所を占拠した直後に天領だった天草富岡代官所襲撃事件が発生したが、その鎮撫に同僚の
吉井源馬等と向かい、一発の銃砲も射つことなく鎮め、見事にその重責を果たした。
吉井源馬(融通無碍/人物評伝)戊辰戦争には長崎振遠隊幹部として従軍、朝陽丸に乗り込み箱館湾海戦に参加する。朝陽丸は蟠竜丸によって轟沈されるが、一命は取り留めた。その後、福井藩に戻る。
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明治3年、明治新政府に出仕。浪華軍事病院看頭に任ずる。その後、東京や横浜で医官として務める。
明治6年6月20日の官員録に「開拓使・八等出仕・山本洪堂」とある。
明治32年、没。享年52。
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海援隊
海援隊(左から
長岡謙吉、
溝渕広之丞、
坂本龍馬、
山本洪堂、
千屋寅之助、
白峰駿馬)
長岡謙吉(融通無碍/<人物評伝>)溝渕広之丞(融通無碍/<人物評伝>)坂本龍馬(融通無碍/<人物評伝>)千屋寅之助(融通無碍/<人物評伝>)白峰駿馬(融通無碍/<人物評伝>)**************
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