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土佐の森・文芸 融通無碍
[人物評伝]
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安岡嘉助(1836~1864)
樋口真吉(1815~1870)

天保7年、香美郡山北村(現香南市山北)の郷士・安岡正理の二男として生まれる。兄は安岡覚之助、弟は安岡道太郎。
兄・安岡覚之助とともに土佐勤王党に加入、中心メンバーとして活動を始める。(しかし、その後関与した吉田東洋暗殺事件関連から「土佐勤王党加盟者名簿」からは削除されている。)
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文久2年、
那須信吾、
大石団蔵と
吉田東洋を暗殺する。
那須信吾(融通無碍/人物評伝) 大石団蔵(融通無碍/人物評伝)吉田東洋(融通無碍/人物評伝) 3人はそのまま脱藩して京都の長州藩邸に逃げ込み、久坂玄瑞に保護されている。路用のため、武市半平太から金子を渡されたという。
那須信吾・安岡嘉助は
天誅組に参加、吉村虎太郎と行動をともにすることになるが、大石団蔵は天誅組には参加せず薩摩藩邸に移り薩摩藩の保護下に入っている。
天誅組(融通無碍/関連話)その後、大石団蔵は薩摩藩士・奈良原繁の養子となり、薩摩藩士として活動することに。名前も「高見弥市」と改名した。
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文久3年、那須信吾らとともに
吉村寅太郎の天誅組に加わり、大和五條代官所を襲撃して「五條御政府」の樹立を宣言した。
吉村虎太郎(融通無碍/人物評伝) 京で政変(
8.18の政変)が起こり追放される。
8月18日の政変(融通無碍/関連話)幕府軍との「鷲家口の戦い」で敗れ、津藩の藩兵に捕縛され京都の六角獄に投獄・翌年に処刑された。享年29。
◆辞世の句
再度(ふたたび)と 来るべき世ならぬ 我身をも 捨てるは君の 御為なりけり
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兄は
安岡覚之助、弟は
安岡道太郎、同郷の
安岡覚馬は従兄弟になる。
安岡覚之助(融通無碍/人物評伝)安岡道太郎(融通無碍/人物評伝)安岡覚馬(融通無碍/人物評伝)ーーーーーーーー
[参考]
芥川賞作家・安岡章太郎氏は安岡嘉助の「子孫」、1981年に日本文学大賞を受賞した著書「流離譚」は、安岡3兄弟の生き様を語る小説。
実家の安岡家住宅は土佐藩郷士の屋敷を引き継いだ造りになっており国の重要文化財に指定されている。

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