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土佐の森・文芸 融通無碍
[人物評伝]
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須賀恒次(1835~1864)
樋口真吉(1815~1870)

安芸郡安芸浦西浜(現・安芸市)に生まれる。土佐藩農民。妹は
寺尾権平の妻。
寺尾権平(融通無碍/人物評伝)砲術を真吉の砲術の師である
田所左右次に学ぶ。
田所左右次(融通無碍/人物評伝)土佐藩校・致道館で儒学・国学を学ぶ。特に詩に巧みであったという。抜擢されて民兵となった。

土佐藩校の致道館(表門が武道館正門として当時の姿を残す<県重要文化財>/真吉も一時期、教授を勤めた。)
文久元年、
武市半平太の
土佐勤王党に加盟。
中岡慎太郎の信任を受け、中岡慎太郎が脱藩する時「一緒に脱藩をしないかと勧められる」が、留まり武市半平太と行動を共にする。
武市半平太(融通無碍/人物評伝)中岡慎太郎(融通無碍/人物評伝)土佐勤王党(融通無碍/関連話)元治元年、
野根山騒動に加わり、捕えられ奈半利川原で処刑された。享年30。
野根山騒動(融通無碍/関連話)
幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP259>
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元治元年9月朔日
阿波から、「野根二十三士の乱」を起こした柏原ら7人を甲浦で引き取る。
元治元年9月5日
清岡道之助ら23人が昨4日、奈半利川原で打首にされ、このうち(首領格の)
清岡道之助と(副首領格の)
清岡治之助の首が(高知城から少し上流の鏡川河畔北側にある)雁<がん>切りの渡し場の梟木<さらしき>の上に乗せられる。

清岡道之助
清岡道之助(融通無碍/人物評伝)清岡治之助(融通無碍/人物評伝)
捕らえられてすぐ処刑された二十三士は辞世の句を詠むことも許されず、墓石の前には道之助の妻・静の詠んだ歌を刻んだ歌碑が建っている。(建立は元田野町長松本孝一氏、書は松本春氏。)
よしやこの土にかばねは埋むとも名をば千歳の松にとどめん
野根山二十三烈士(融通無碍/関連話)
野根山二十三烈士の墓(田野町福田寺)
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2024.11.01.23.59