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土佐の森・文芸 幕末足軽物語/融通無碍
[人物評伝]
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田所壮輔<谷島次郎>(1840~1864)
樋口真吉(1815~1870)

天保11年、稲富流砲術家の田所家(
田所左右次)の嫡男として、土佐郡潮江村竹島に生まれる。土佐高知藩砲術師範。
田所左右次(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
文久元年、
武市半平太の
土佐勤王党に加盟した。(血盟書は37番目で谷島次郎で署名している。)

土佐勤王党(NHK動画)土佐勤王党(融通無碍/関連話)武市半平太(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
文久2年、4月22日、中村から高知に出て来た真吉は田所壮輔の家に泊まっている。
幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP173>
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文久2年4月20日
高知に着いて、田所壮輔(砲術の師・田所左右次の息子)宅に泊まる。
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江戸にいた山内容堂護衛のため
五十人組に
中岡慎太郎とともに参加、江戸に出向き尊皇攘夷運動に邁進する。江戸では長州の
久坂玄瑞らと交流して長州藩に深く関わるようになる。
五十人組(融通無碍/関連話)中岡慎太郎(融通無碍/人物評伝)久坂玄瑞(融通無碍/人物評伝)ーーーーーーーー
江戸へ向かう途中、桑名で同じく江戸に向かっていた樋口真吉と偶々遭遇している。
<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP203>
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文久2年11月6日
桑名に宿す。高知から田所島太郎(=田所壮輔<真吉の砲術の師・田所左右次の息子>)ら50人の一行と同宿する。
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[融通無碍]
五十人組は徒党を組んで東海道を下り真吉と出会った。
手短に両者は会話を交わしたか。阿吽の呼吸で「すべて了解!」。
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文久3年、田所壮輔は、父・田所左右次に「書き置き」を残して脱藩した。
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[保古飛呂比/
佐々木高行日記]
(出典:
魚の目<魚住昭>)
田所壮輔の「書き置き」(融通無碍/関連話)佐々木高行(融通無碍/人物評伝)======
[融通無碍]
[前略]私こと、子細があって、同じ考えの人々2、3人と申し合わせて亡命(脱藩)いたします。
もちろん一言も相談申し上げず、第一、莫大なご恩を捨て置いて他国へ行きますのは一朝一夕のことではございません。
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脱藩の同行者は
尾崎幸之進、
安東真之助、
中平龍之助ら。
尾崎幸之進(融通無碍/人物評伝)安東真之助(融通無碍/人物評伝)中平龍之助(融通無碍/人物評伝)中岡慎太郎を頼り長州の三田尻・
招賢閣に入る。忠勇隊に加盟し「
禁門の変」に参戦した。
招賢閣(融通無碍/関連話)禁門の変(融通無碍/関連話)~~~~~~~~~~
元治元年(文久4年)、禁門の変には忠勇隊の斥候として京都へ入るが、情勢を知らせるため長州へ戻っている。斥候としての役目を果たし、再び京へ向かうが悪天候のため兵庫への上陸が遅れ、その地で忠勇隊が敗走したことを知らされた。そのまま長州に敗走、三田尻の招賢閣に舞い戻っている。
その後 、田所壮輔は馬関に行って遊興にふけったり、酒を飲んでは敗走した忠勇隊の同士をあざ笑うなどの不埒な行いが同士から責められる。後の自刃の要因か。
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<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP241>
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文久4年1月20日
伊藤善平は12月13日に土佐を出て長州に向かったが、戻って言う。
「長州の士気はは大いに奮っている。
8月の政変で追放された三条卿(
三条実美)らは湯田、五鄕、氷上へお移りになった。七鄕お住まいの館の入口門の守備は厳重だ。」
8月18日の政変(融通無碍/関連話)三条実美(融通無碍/人物評伝「三田尻の御茶屋を招賢閣と呼ぶようになった。」
「真木外記、田所壮輔、中岡慎太郎等もこれに加勢し、招賢閣の御用を命じられているとか。真木外記は真木和泉の弟。田所壮輔は砲術師・田所左右次の息子。」
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元治元年9月29日、招賢閣で自尽した。享年25。
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<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP262>
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元治元年11月12日、
この日、田所壮輔(真吉の砲術の師・田所左右次の息子。嶋太郎ともいう)割腹の話を聞いた。
脱藩後、長州忠勇隊に属した田所は蛤御門でも戦ったが同士と意見が会わず、この年9月29日三田尻で自刃した。
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中岡慎太郎が故郷の同志に宛てた手紙に
「田所左右輔氏9月29日割腹せり。これまた嘆息す。故に遺物を送る」云々とある。(平尾道雄『中岡慎太郎陸援隊始末記』中公文庫。94頁)
墓は防府市桑ノ山にある。裏面には「元治元年九月廿九日自尽/於招賢閣中而死年二十五」と刻まれている。
勤王歌人・野村望東尼の墓の右横に「高知藩士田所壮輔墓」がある。
(何故に、野村望東尼の墓と並んであるのか、土佐藩でなく高知藩なのかは分らない。)

野村望東尼の墓
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元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)2023.05.01.22.52