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土佐の森・文芸 融通無碍
[人物評伝]
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島村寿太郎(1832~1873)
樋口真吉(1815~1870)

島村寿太郎(洲平)の墓(齢延寺/大坂四天王寺前夕陽ヶ丘)
天保3年、土佐藩の郷士の家に生まれる。姉の富子は
武市半平太の妻。
武市半平太(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
文久元年、武市半平太、
大石弥太郎らによって土佐勤王党が結成されると加わり尊攘活動に奔走する。(血盟書は24番)
大石弥太郎(融通無碍/人物評伝)
土佐勤王党(NHK動画)土佐勤王党(融通無碍/関連話)ーーーーーーーー
武市半平太が江戸で土佐勤王党を立上げ在郷中の同志を糾合するため、大石弥太郎が起草した盟約書(血盟書)を携えて(
島村衛吉、
柳井健次、
河野万寿弥の3名を従え)土佐へ下った。
島村衛吉(融通無碍/人物評伝)柳井健次(融通無碍/人物評伝)河野万寿弥(融通無碍/人物評伝)武市半平太は土佐藩大監察/大目付の
平井政実、
小南五郎右衛門の上士尊王派2名をたずね、土佐勤王党糾合の協力を取り付けた。
平井政実(融通無碍/人物評伝)小南五郎右衛門(融通無碍/人物評伝)さらに、島村寿太郎、
島村寿之助、
島村外内<島村寿之助の甥>、
多田哲馬、
上田楠次の5名を武市家に集め、土佐七郡における同志糾合を依頼した。
島村寿之助(融通無碍/人物評伝)島村外内(融通無碍/人物評伝)多田哲馬(融通無碍/人物評伝)上田楠次(融通無碍/人物評伝)この武市半平太の勧誘運動は足掛け3年にもおよび、
土佐勤王党の盟約書に残るだけでも192名が名をつらねた。
土佐勤王党の盟約書(融通無碍/関連話)~~~~~~~~~~
文久2年、
山内容堂の身辺警護と称して
五十人組が土佐藩の非合法な組織として結成され、島村寿太郎は
中岡慎太郎らと江戸に向かった。
山内容堂(融通無碍/人物評伝)中岡慎太郎(融通無碍/人物評伝)五十人組(融通無碍/関連話)~~~~~~~~~~
文久3年、土佐勤王党の獄では、慎重な態度を持して難を逃れている。
武市半平太は切腹を申しつけられ、切腹した。
武市半平太が切腹(融通無碍/関連話) 武市半平太の切腹は南会所大広庭で、未だ誰も為しえなかったとさえ言われてきた三文字割腹の法を用いて、法式通り腹を3度かっさばいた後、前のめりになったところを両脇から2名の介錯人により心臓を突かせて絶命したといわれる。
介錯人をつとめたのは島村寿太郎と
小笠原保馬だった。
小笠原保馬(融通無碍/人物評伝)西山志澄らが武市半平太の遺骸を長棒の駕籠に乗せ武市半平太の自宅まで運んでいる。
西山志澄(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
元治元年、土佐勤王党の獄が起こると、同志らと藩政の非を訴え、捕らえられた武市半平太らの釈放を求める。
幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編ーーーーーーーー
<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP247>
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元治元年5月27日、
ご隠居の任官御祝いを言上するため執政を訪ねる。
藤本淳七氏宅で
村田馬太郎と出会う。ついでに島村寿太郎を訪ねる。用件は(武市半平太らの釈放求める)建白書の件だ。
藤本淳七(融通無碍/人物評伝)村田馬太郎(融通無碍/人物評伝)ーーーーーーーー
<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP248>
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元治元年6月13日、
総勢27名で(武市半平太らの釈放求める)建白書を風憲(監察)に出す。
これに対応したのは大監察・
小八木五衞兵、
横山覚馬それに板坂、若尾の諸氏だった。
小八木五衞兵(融通無碍/人物評伝)横山覚馬(融通無碍/人物評伝)村田馬太郎は真吉らと組んで建白書の署名人にはならなかった。
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慶応2年、
<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP275>
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慶応2年9月24日
山内容堂の命令で、
佐々木高行は太宰府の
三条実美を訪ね、京師の情勢を探索する。
佐々木高行(融通無碍/人物評伝)三条実美(融通無碍/人物評伝)同行は中山左衛士、
毛利恭助、島村寿太郎、
佐井寅次郎、藤本淳七。
毛利恭助(融通無碍/人物評伝)佐井寅次郎(融通無碍/人物評伝)御隠居様(=山内容堂)に上京の内意があるらしい。
一ツ橋(=
徳川慶喜)の使いが来る。乗ってきた船の船員の中に外国人がいるという梅沢源七郎の話。
徳川慶喜(融通無碍/人物評伝)=======
[融通無碍]
この探索(情報/意見収集)は、①7月20日に将軍・徳川家茂が死去したこと、②長防との戦いがしばらく止戦したこと、③十二鄕が建白したこと、④福井の
松平春嶽侯が幕府を正道に戻す建言をしたこと、などを踏まえ行われた。
十二鄕の建白は不首尾に終わった、という。
松平春嶽(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
慶応3年、
板垣退助が水戸浪士中村勇吉らを江戸の土佐藩邸に匿い土佐藩幹部(佐幕派)の讒訴で苦境に立った時、これを庇護している。
板垣退助(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
慶応4年、戊辰戦争に従軍。
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明治6年、大阪で死去。享年42.
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土佐の森・文芸/融通無碍

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元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)ーーーーーーーーーーーーーー
2025.06.01.23.51