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土佐の森・文芸 融通無碍
[人物評伝]
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久松喜代馬(1834~1865)
樋口真吉(1815~1870)

高知県高知市東秦泉寺山
天保5年、高知城下の東新町(現・高知市桜井町)の久松圓次重之の三男に生まれる。
万延元年、久松喜代馬は
武市半平太に従い、
岡田以蔵、
島村外内とともに長州、北九州方面に武者修行の名目で遊歴した。旅の途中で
髙松太郎と遭遇して懇意になる。
武市半平太(融通無碍/人物評伝)岡田以蔵(融通無碍/人物評伝)島村外内(融通無碍/人物評伝)髙松太郎(融通無碍/人物評伝)その帰途、
宿毛、中村に立ち寄っている。
宿毛のこと(融通無碍/関連話)ーーーーーーーー

維新土佐勤王史(瑞山会編纂)
「維新土佐勤王史」に
「海岸を迂回しつつ土佐の西端・宿毛に入り、さらに幡多郡庁の所在地なる中村を経て、至る処に有志の剣客を訪い、高知新町に帰着せり。然るに、瑞山(半平太)が行李中に在りしものは「霊の真柱」一部と、宿毛にて購ひたる南海太郎朝尊の新刀のみ」とある。
宿毛では、岡添家を宿として多少長期間滞在したらしいが、中村滞在の模様の詳細は判っていない。
宿毛ではしばらく留って、宿毛の家士たちに剣術の稽古をつけている。
宿毛の人達が剣術を学んだのには、次のような話が伝えられている。
「宿毛で常盤神社の奉納試合があったが、宿毛の侍達は中村の
樋口真吉、
樋口甚内兄弟に、さんざん負け、これではいかないと思っていた時に剣豪の武市半平太・岡田以蔵が来たので、稽古をつけてもらったのである。」(竹村照馬氏談)
樋口真吉(融通無碍/人物評伝)樋口甚内(融通無碍/人物評伝)宿毛のこと(幕末足軽物語/関連話)~~~~~~~~~~
文久2年、土佐勤王党に加盟。(146番目の血盟同志)

土佐勤王党(NHK動画)土佐勤王党(融通無碍/関連話)ーーーーーーーー
土佐藩主・
山内豊範の参勤交代に随従し京に上る。
山内豊範(融通無碍/人物評伝)
幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP176>
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文久2年6月28日、
吉田東洋暗殺事件のために延期になっていた山内豊範の
参勤交代が出立。
参勤交代行列の人数は通常600人程を、2,000人に増員した大部隊になったと伝えられ、武市半平太をはじめ、久松喜代馬、
島村衛吉、
平井収二郎、
岡本八之助ら土佐勤王党の同志数10人も供奉した。樋口真吉も藩主辺警要員で随行、さらに吉田東洋暗殺犯の探索用務で下横目・
井上佐i一郎、
岩崎弥太郎が同行していた。
島村衛吉(融通無碍/人物評伝)平井収二郎(融通無碍/人物評伝)岡本八之助(融通無碍/人物評伝)井上佐一郎(融通無碍/人物評伝)岩崎弥太郎(融通無碍/人物評伝)======
[融通無碍]
参勤交代(融通無碍/関連話)
「北山道」と呼ばれる参勤交代の道が残っている。高知城から見て「北の方に抜ける道」ということから「北山道」と言われるようになった。
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文久2年8月2日、
土佐藩の下横目・井上佐一郎が殺害された。
井上佐一郎(融通無碍/人物評伝)井上佐一郎暗殺事件(融通無碍/関連話)井上佐一郎は下士の足軽であったが、土佐藩参政・
吉田東洋に認められて下横目<現在の警察・検察の役目>の役職を与えられていた。
吉田東洋(融通無碍/人物評伝)井上佐一郎も土佐藩主・山内豊範の参勤交代に従って上洛中であり、大坂でも吉田東洋暗殺の犯人探索に当っていた。
しかし、その行動が下手人であった土佐勤王党員に危険視され、勤王党員(
平川光伸)に酒を飲まされたその帰途、久松喜代馬、岡田以蔵、
村田忠三郎、岡本八之助、
森田金三郎らによって絞殺された。
平川光伸(融通無碍/人物評伝)村田忠三郎(融通無碍/人物評伝)森田金三郎(融通無碍/人物評伝)京では、武市半平太のもとで尊王攘夷活動に奔走する。
さらに勅使東下には正勅使・
三条実美の護衛に加わり江戸に出向いている。(帰京後、三条公から紋服と麻上下を賜わったという。)
三条実美(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
元治元年、土佐藩論が尊王攘夷から公武合体へと転換して土佐勤王党への弾圧が始まると、井上佐一郎殺害事件に関与したことでを咎められて捕縛され揚り屋入りとなる。
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武市半平太は獄中にあって、土佐勤王党の志士を
「唯一人自白をしていない森金(=森田金三郎)は感心。森金は実なる人物と見ゆる。」
「森田金三は大丈夫にて候。岡本[八之助]と久松[喜代馬]、村田[忠三郎]と岡田[以蔵]は近々のうちに斬らるるろうと思い候。」と評している。
さらに、弟の
田内衛吉については
「[田内]衛吉も拷問になりても森田のように一言もいわず、絞め殺されるように唯々祈りおり候。この上は拷問にて絞め殺される人が一番大丈夫にて候」と吐露している。
田内衛吉(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
慶応元年、久松喜代馬は井上佐一郎殺害の罪で処刑(斬首)される。享年26。
幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP271>
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慶応元年5月11日
岡田以蔵、久松喜代馬、村田忠三郎、岡本八之助が牢屋において斬首された。
園村新作、
島村寿之助、
安岡覚之助、
河埜万寿彌、森田金三郎、
小畑孫次郎、
小畑孫三郎、
島本審次郎、
吉永良吉は引き続き牢屋に監禁され、
小南五郎右衛門殿は御預け処分となった。
園村新作(融通無碍/人物評伝)島村寿之助(融通無碍/人物評伝)安岡覚之助(融通無碍/人物評伝)河埜万寿彌(融通無碍/人物評伝)小畑孫次郎(融通無碍/人物評伝)小畑孫三郎(融通無碍/人物評伝)島本審次郎(融通無碍/人物評伝)吉永良吉(融通無碍/人物評伝)小南五郎右衛門(融通無碍/人物評伝)武市半平太は屠腹とふく(=切腹)を命じられた。
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元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)ーーーーーーーーーーーーーー
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