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土佐の森・文芸 融通無碍
[人物評伝]
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小畑孫次郎(1829~1912)
樋口真吉(1815~1870)

文政12年、土佐郡一宮村(現・高知市)の土佐藩郷士・小畑美稲の二男として生まれる。弟に
小畑孫三郎、
川田乙四郎、
小畑五郎馬、
小畑孫三郎(融通無碍/人物評伝)川田乙四郎(融通無碍/人物評伝)小畑五郎馬(融通無碍/人物評伝)奥宮慥斎から陽明学を学ぶ。
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文久元年、土佐勤王党に加わり尊王攘夷運動に参加する。(145番目の血盟同志。)

土佐勤王党(NHK動画)土佐勤王党(融通無碍/関連話)~~~~~~~~~~
文久2年、土佐藩主・山内豊範の参勤交代に随従し上洛、三条家御作配役となり武市半平太のもとで国事(尊王攘夷活動)に奔走する。
幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP176>
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文久2年6月28日、
吉田東洋暗殺事件のために延期になっていた山内豊範の
参勤交代が出立。
参勤交代行列の人数は通常600人程を、2,000人に増員した大部隊になったと伝えられ、小畑孫次郎をはじめ
武市半平太、
岡本次郎、
久松喜代馬、
島村衛吉、
平井収二郎、
山本喜三之進、
大石弥太郎、
谷正方、
安岡覚之助ら土佐勤王党の同志も供奉した。真吉も藩主辺警要員で随行している。
武市半平太(融通無碍/人物評伝)岡本次郎(融通無碍/人物評伝)久松喜代馬(融通無碍/人物評伝)島村衛吉(融通無碍/人物評伝)山本喜三之進(融通無碍/人物評伝)大石弥太郎(融通無碍/人物評伝)谷正方(融通無碍/人物評伝)安岡覚之助(融通無碍/人物評伝)平井収二郎(融通無碍/人物評伝)======
[融通無碍]
参勤交代(融通無碍/関連話)
「北山道」と呼ばれる参勤交代の道が残っている。高知城から見て「北の方に抜ける道」ということから「北山道」と言われるようになった。
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文久2年8月2日、
土佐藩の下横目・
井上佐一郎が殺害された。
井上佐一郎(融通無碍/人物評伝)井上佐一郎は下士の足軽であったが、土佐藩参政・吉田東洋に認められて下横目<現在の警察・検察の役目>の役職を与えられていた。
井上佐一郎も土佐藩主・山内豊範の参勤交代に従って上洛中であり、大坂でも吉田東洋暗殺の犯人探索に当っていた。しかし、その行動が下手人であった土佐勤王党員に危険視され、勤王党員(
平川光伸らといわれる。)に酒を飲まされたその帰途、久松喜代馬、
岡田以蔵、岡本次郎らによって絞殺された。
平川光伸(融通無碍/人物評伝)岡田以蔵(融通無碍/人物評伝)井上佐市郎暗殺事件(融通無碍/関連話)~~~~~~~~~~
<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP207>
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文久2年12月21日
小畑孫次郎が京師から来て、赤穂の公武合体派(家老・森主悦と用人・村上新助)を勤王派13人(木村寅二、西川升吉ら)が誅戮、懲らしめ殺した事を告げる。
吉田東洋暗殺事件と似た点もあり、
平井収二郎は赤穂藩勤王派13名を土佐藩・堺陣屋に匿った。後、発覚し問題となる。
吉田東洋(融通無碍/人物評伝)平井収二郎(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
文久3年、平井収二郎、
間崎哲馬、
弘瀬健太は青蓮院宮から令旨を賜り、これを楯に国元にいる先々代藩主・山内豊資に働きかけて藩政改革を企てる。
間崎哲馬(融通無碍/人物評伝)弘瀬健太(融通無碍/人物評伝)しかし、山内容堂が平井収二郎らの青蓮院宮への接触を知り「僭越の沙汰である」と激怒し、3人を切腹させるという「青蓮院宮令旨事件」が起こる。この事件に小畑孫次郎も関与していた。
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元治元年、土佐藩論が尊王攘夷から公武合体へと転換して土佐勤王党への弾圧が始まると、小畑孫次郎は吉田東洋暗殺事件、井上佐一郎殺害事件、青蓮院宮令旨事件に関与したことで捕縛され揚り屋入り(永牢処分)となる。
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慶応元年、土佐勤王党への弾圧で捕縛、揚り屋入りの志士が処断される。
<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP271>
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慶応元年5月11日
岡田以蔵、
久松喜代馬、
村田忠三郎、
岡本次郎が牢屋において斬首された。
岡田以蔵(融通無碍/人物評伝)久松喜代馬(融通無碍/人物評伝)村田忠三郎(融通無碍/人物評伝)岡本次郎(融通無碍/人物評伝)園村新作、
島村寿之助、
安岡覚之助、
河埜万寿彌、森田金三郎、
小畑孫次郎、
小畑孫三郎、小畑孫次郎は引き続き牢屋に監禁され、
小南五郎右衛門殿は御預け処分となった。
島村寿之助(融通無碍/人物評伝)河野万寿彌(融通無碍/人物評伝)安岡覚之助(融通無碍/人物評伝)小南五郎右衛門(融通無碍/人物評伝)小畑孫三郎(融通無碍/人物評伝)武市半平太は屠腹とふく(=切腹)を命じられた。
武市半平太(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
慶応3年、小畑孫次郎は板垣退助により赦免され、戊辰戦争に土佐藩兵として従軍している。
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明治2年、新政府に出仕。弾正大巡察に就任。以後、弾正権少忠、司法大解部、司法少判事などを歴任。
明治45年、死去。享年84。
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元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)ーーーーーーーーーーーーーー
2025.07.01.23.51