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土佐の森・文芸 融通無碍
[人物評伝]
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村田忠三郎(1840~1865)
樋口真吉(1815~1870)

天保11年、香美郡古川村(現・吉川村)の郷士・村田新十郎の三男に生まれる。村田家は甲斐源氏の後裔という。実兄は
村田馬太郎。
村田馬太郎(融通無碍/人物評伝)親戚筋に
村田角吾がいる。
村田角吾(融通無碍/人物評伝) 安政年間、江戸に留学して学問を藤森弘庵に、剣道を千葉重太郎に学ぶ。
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文久元年、土佐勤王党に加盟。(47番目の血盟同志。)

土佐勤王党(NHK動画)土佐勤王党(融通無碍/関連話)~~~~~~~~~~
文久2年、
山内容堂の身辺警護と称して
五十人組が土佐藩の非合法な組織として結成された。
山内容堂(融通無碍/人物評伝)五十人組(融通無碍/関連話)五十人組に3番組(伍長は
河埜万寿弥)として参加、3番組には庄村良達、
田所荘之助、島地磯吉らがいた。京都と江戸の間を往来して国事に奔走した。
五十人組(融通無碍/関連話)河埜万寿弥(融通無碍/人物評伝)田所荘之助(融通無碍/人物評伝)
幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編・・・・・・・・・・・
<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP179>
文久2年8月2日、
《真吉の日記は空白》
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[融通無碍]
この日、土佐藩下横目・
井上佐市郎暗殺事件が起こる。
井上佐市郎(融通無碍/人物評伝)井上佐市郎暗殺事件(融通無碍/関連話)ーーーーーーーー
暗殺の実行犯は
岡田以蔵、
久松喜代馬、村田忠三郎、
岡本八之助・
森田金三郎の5人。
岡田以蔵(融通無碍/人物評伝)久松喜代馬(融通無碍/人物評伝)岡本八之助(融通無碍/人物評伝)森田金三郎(融通無碍/人物評伝)ーーーーーーーー
<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP186>
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文久2年8月21日
昨夜、
本間精一郎が先斗<ぽんと>町で横死する。四条河原に首がさらされ、胴体は高瀬川に投げ込まれた。
この暗殺は武市一派(村田忠三郎はじめ井上佐市郎を暗殺した土佐勤王党の志士)と薩摩による仕業であった。
本間精一郎(融通無碍/人物評伝)
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文久3年、
山内容堂の側役として京に上るが、土佐に戻ると土佐勤王党弾圧により
武市半平太らとともに獄に入る。
山内容堂(融通無碍/人物評伝)武市半平太(融通無碍/人物評伝)武市半平太は獄中にあって、土佐勤王党の志士を
「唯一人自白をしていない森金(=森田金三郎)は感心。森金はみな実なる人物と見ゆる。」
「森田金三は大丈夫にて候。岡本[八之助]と久松[喜代馬]、村田[忠三郎]と岡田[以蔵]は近々のうちに斬らるるろうと思い候。」と評している。
さらに、弟の田内衛吉については
「[田内]
衛吉も拷問になりても森田のように一言もいわず、絞め殺されるように唯々祈りおり候。この上は拷問にて絞め殺される人が一番大丈夫にて候」と吐露している。
田内衛吉(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
慶応元年、村田忠三郎は獄において処刑された。享年26。
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<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP271>
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慶応元年5月11日
岡田以蔵、久松喜代馬、村田忠三郎、岡本八之助が牢屋において斬首された。
園村新作、
島村寿之助、
安岡覚之助、
河埜万寿彌、森田金三郎、
小畑孫次郎、
小畑孫三郎、
島本審次郎は引き続き牢屋に監禁され、
小南五郎右衛門殿は御預け処分となった。
園村新作(融通無碍/人物評伝)島村寿之助(融通無碍/人物評伝)安岡覚之助(融通無碍/人物評伝)河埜万寿彌(融通無碍/人物評伝)小畑孫次郎(融通無碍/人物評伝)小畑孫三郎(融通無碍/人物評伝)島本審次郎(融通無碍/人物評伝)小南五郎右衛門(融通無碍/人物評伝)武市半平太は屠腹とふく(=切腹)を命じられた。
武市半平太が切腹(融通無碍/関連話) **************
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元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)ーーーーーーーーーーーーーー
2025.07.01.22.51