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土佐の森・文芸 融通無碍
[人物評伝]
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河埜万寿弥(1844~1895)
樋口真吉(1815~1870)

天保15年、高知城下北奉公人町の山内家家臣・河野通好の長男として生まれる。妻の兄は堀内賢之進。
堀内賢之進(融通無碍/人物評伝)坂本龍馬とは家が近くであり、幼友達。坂本龍馬が脱藩した時、高知城下の西・朝倉村まで見送りにいったという。
坂本龍馬(融通無碍/人物評伝)安政6年、江戸へ遊学して安井息軒の門下となる。土佐藩の塾生として
池内蔵太らと3年間学問に励み、諸国の志士らと交流して親交を深める。
池内蔵太(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
文久元年、江戸に出てきた武市半平太と土佐勤王党の立上げに参加、7番目に血判署名をおこなっている。(ちなみに親友の龍馬は9番目。)
その後、武市半平太と帰郷し同志を糾合、土佐勤王党を結成した。

1
武市半平太(土佐勤王党盟主。P236,P271、真吉伝P26)
2
大石彌太郎(土佐勤王党NO2。P230,P353、P365、p376)
3
島村衛吉(土佐勤王党弾圧で客死。P236)
4
間崎哲馬(勤王党の弾圧で切腹。P216,P229)
5
門田 為之助(土佐勤王党。勝海舟門弟。P183)
6
柳井健次(五十人組に参加。)
7 河埜万寿彌
8
小笠原保馬(土佐勤王党を結成。P173)
9
坂本龍馬(四万十川伝説/改修工事。P83、真吉伝P124)
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文久2年、越後浪人・
本間精一郎が土佐に入り、国境で
那須信吾と会して 梼原村の那須宅へ潜伏した。
本間精一郎(融通無碍/人物評伝)那須信吾(融通無碍/人物評伝) 武市半平太の指示では河埜万寿彌は
上田楠次と梼原村に赴き面談をしている。京の
吉村寅太郎から依頼で土佐勤王党の武力蜂起を促す用件であったが、武市半平太は拒否した。
吉村寅太郎(融通無碍/人物評伝)上田楠次(融通無碍/人物評伝) ・・・・・・・・
坂本龍馬と親しく、龍馬が脱藩した時、高知城下の西・朝倉村まで見送りに行っている。
坂本龍馬(融通無碍/人物評伝) ・・・・・・・・
高知城下で土佐藩参政・
吉田東洋が暗殺された。
吉田東洋(融通無碍/人物評伝)河埜万寿彌は吉田東洋暗殺の刺客(
谷作七、
島村衛吉、
上田楠次、
那須信吾、
安岡嘉助、
大石団蔵、岡本猪之助、岡本佐之助ら)には指名されなかったがその実行の差配をしたという。
谷作七(融通無碍/人物評伝) 島村衛吉(融通無碍/人物評伝) 上田楠次(融通無碍/人物評伝) 那須信吾(融通無碍/人物評伝) 安岡嘉助(融通無碍/人物評伝) 大石団蔵(融通無碍/人物評伝) ーーーーーーーー
土佐藩監察使となり
弘瀬健太や
小畑孫三郎らと京都・大坂に上る。
弘瀬健太(融通無碍/人物評伝)小畑孫三郎(融通無碍/人物評伝)三条実美や中山忠能らと接触。土佐藩主・
山内豊範の参勤交代の際に令旨を出して貰う裏工作を行い国事周旋 の内勅を受けた。
三条実美(融通無碍/人物評伝)山内豊範(融通無碍/人物評伝)ーーーーーーーー
山内容堂の身辺警護と称して
五十人組が土佐藩の非合法な組織として結成された。
山内容堂(融通無碍/人物評伝)五十人組(融通無碍/関連話)五十人組に3番組伍長として参加、配下に庄村良達、
田所荘之助、島地磯吉、
村田忠三郎らがいた。京都と江戸の間を往来して国事に奔走した。
五十人組(融通無碍/関連話)田所荘之助(融通無碍/人物評伝)村田忠三郎(融通無碍/人物評伝)・・・・・・・・・・
文久2年11月15日
多田帯刀暗殺事件。実行犯は長州の楢崎八十槌、土佐の
小畑孫三郎、河野万寿弥、
依岡権吉、
千屋寅之助ら。
このうち、依岡権吉は大正まで存命して、この事件を語り遺している。それによると
岡田以蔵も加わっていたとされているが、この時岡田以蔵は副勅使護衛の任務で江戸に滞在しており、事件には関与していないというのが真実と思われる。
小畑孫三郎(融通無碍/人物評伝)依岡権吉(融通無碍/人物評伝) 千屋寅之助(融通無碍/人物評伝) 岡田以蔵(融通無碍/人物評伝) ~~~~~~~~~~
文久3年、
山内容堂が佐幕派に鞍替えしたことから藩論が転換、土佐勤王党への弾圧が起こる。投獄され永牢処分を受ける。
山内容堂(融通無碍/人物評伝)その獄中生活では厳しい拷問にも耐えて同志を守り通し、永牢の宣告を受けたが、河野万寿彌は逆にこれを誇りにしたという。
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慶応元年、
幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP271>
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慶応元年5月11日
岡田以蔵、久松喜代馬、村田忠三郎、岡本八之助が牢屋において斬首された。
園村新作、
島村寿之助、
安岡覚之助、
河埜万寿彌、森田金三郎、
小畑孫次郎、
小畑孫三郎、
島本審次郎は引き続き牢屋に監禁され、
小南五郎右衛門殿は御預け処分となった。
園村新作(融通無碍/人物評伝)島村寿之助(融通無碍/人物評伝)安岡覚之助(融通無碍/人物評伝)河埜万寿彌(融通無碍/人物評伝)小畑孫次郎(融通無碍/人物評伝)小畑孫三郎(融通無碍/人物評伝)島本審次郎(融通無碍/人物評伝)小南五郎右衛門(融通無碍/人物評伝)武市半平太は屠腹とふく(=切腹)を命じられた。
武市半平太が切腹(融通無碍/関連話) ~~~~~~~~~~
慶応4年、6年間の獄中生活を送るが、罪を免じられて出獄。
後藤象二郎の手引きで大坂に上り、
江藤新平の知遇を得る。
後藤象二郎(融通無碍/人物評伝)江藤新平(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
明治2年、江藤新平の推挙で侍詔局に出仕し、その後、広島県大参事に転じ、司法大丞兼大検事となる。
明治6年、江藤新平は
西郷隆盛・
板垣退助・後藤象二郎らと下野する。
西郷隆盛(融通無碍/人物評伝)板垣退助(融通無碍/人物評伝)明治7年、江藤新平が佐賀で「佐賀の乱」を起こし捕えられると、河埜万寿彌は急設された佐賀裁判所で(司法省時代に上司であった)江藤新平を裁いた。河埜万寿彌の胸中はいかに。
明治14年、自由党顧問となり
島本審次郎と政治家として活躍したが、保安条例により東京から追放された。
島本審次郎(融通無碍/人物評伝)明治28年、死去。享年52。
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元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)ーーーーーーーーーーーーーー
2025.07.01.22.51