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土佐の森・文芸 融通無碍
[人物評伝]
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小八木五衛兵(不詳~1871)
樋口真吉(1815~1870)

墓は高知市筆山にある。
土佐藩仕置役。土佐藩祖・山内一豊が徳川家康から受けた恩顧を主張した佐幕派の指導者。(一説には薩摩から土佐に「さつまいも」をもたらした人物といわれている。)
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安政5年、
山内容堂の御側御用を務める。
横山覚馬とともに佐幕派中心の土佐藩を支えた。
山内容堂(融通無碍/人物評伝)横山覚馬(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
安政6年、安政の大獄で
寺田左右馬とともに失脚・免職となる。
寺田左右馬(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
文久2年、寺田左右馬とともに土佐藩政に復帰、佐幕派の中心として活動する。
小八木五衛兵は土佐藩主・
山内豊範の参勤交代に随行して上洛する。
山内豊範(融通無碍/人物評伝)
幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP183>
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文久2年閏8月朔日
小八木五兵衛の引率で、
御扈従<こじゅう>組が江戸へ差し立てられ、郷士組が先発した。
御扈従組(融通無碍/関連話)======
[融通無碍]
◆御扈従組
京都で不穏な動きが頻発し、既存の京都所司代では治安維持が難しいとみた幕府は新たに会津藩主・
松平容保<かたもり>を京都守護職に任ずる。就任受諾に際し、会津藩内では反対意見が相次いだが藩主は「火中の栗を拾う」決意で入京する。
松平容保(融通無碍/人物評伝)その後、治安維持の実務は
新撰組が受け持つことになる。新撰組は会津の後ろ盾を得て強行路線を取り、以後勤王浪士を厳しく取り締る。
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◆新選組
敗者側の幕府と会津に組したばかりに汚名を着せられた。筆者は武士という名と身分に憧れた新撰組諸氏の悲運に同情を覚える。
時世時節は変遷するものだ。だが処世術に長けていなかったばかりにかれらは野山に屍をさらし、汚名を着たまま名誉回復されていないから。かれらも時代の犠牲者だ。
朝廷、幕府、諸藩ともばらばらに動く混迷のさなかにあった。先の見えない不安だらけの時代だった。
新撰組(融通無碍/関連話)
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江戸でも不穏な動き(山内容堂への糾弾)があり、土佐藩も京から身辺警護のための御扈従<こじゅう>組を送ることになった。
御扈従<こじゅう>組中にいる郷士
①松本雄吉 ②島村恒三郎 ③
弘田章三郎 ④山本伊之助 ⑤
永野楠冶 ⑥入交晋二郎 ⑦入交五郎蔵 ⑧長尾孫三郎 ⑨和田熊太郎 ⑩
門田為之助弘田章三郎(融通無碍/人物評伝)永野楠治(融通無碍/人物評伝)門田為之助(融通無碍/人物評伝)以上10名が小八木五兵衛の引率で江戸へ差し立てられ、郷士組が先発した。
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文久2年閏8月3日
小八木五兵衛氏が江戸に向け出発した。
朝、真吉は
本山只一郎氏を訪ねる。
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[融通無碍]
本山只一郎は土佐藩の重役(大監察)
勤王攘夷思想に理解を示す上士であったが、武市半平太の土佐勤王党とは一線を画し、
板垣退助、
谷干城、
佐々木高行ら上士の面々と独自の勤皇派閥を形成していた。(真吉も武市半平太の土佐勤王党とは一線を画す確執があった。)
板垣退助(融通無碍/人物評伝)谷干城(融通無碍/人物評伝)佐々木高行(融通無碍/人物評伝)安政年間(1854~)には幡多奉行に任ぜられ、真吉とともに幡多群内17箇所の砲台を建造してる。
本山只一郎(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
元治元年、獄中の土佐勤王党関係者(
武市半平太ら)の救出が関係者間で懸命に模索された。
武市半平太(融通無碍/人物評伝)<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP248>
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元治元年6月13日
総勢27名で(武市半平太らの救出)嘆願書を風憲(監察)に出す。(これに応対したのは大監察・小八木五衛兵、
横山覚馬それに板坂、若尾の諸氏だった。)
横山覚馬(融通無碍/人物評伝)<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP251>
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元治元年6月25日
弘人<ひろめ>殿、備後殿、執政・
寺村左膳、
寺田左右馬、小八木五衛兵、板坂市右衛門が退く。
寺村左膳(融通無碍/人物評伝)寺田左右馬(融通無碍/人物評伝)ただし、板坂のみの辞職である。板坂氏辞職は意味不明である。
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慶応3年、小八木五衛兵は土佐藩の倒幕論・大政奉還に反対し佐幕派を糾合(寺田左右馬、
野中太内ら38名)して、
後藤象二郎、
板垣退助を弾劾した。
野中太内(融通無碍/人物評伝)後藤象二郎(融通無碍/人物評伝)板垣退助(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~
慶応4年(明治元年)、戊辰東征(戊辰戦争)にも批判的立場を取り、佐幕から倒幕に豹変した山内容堂から寺田左右馬、野中太内らとともに処罰を受け失脚した。
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明治4年、死去。享年55。
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元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)ーーーーーーーーーーーーーー
2025.06.01.23.51