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土佐の森・文芸 融通無碍
[人物評伝]
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横山覚馬(1817~1872)
樋口真吉(1815~1870)

文化14年、高知城下の土佐藩御馬廻格・横山助之進直保の子に生まれる。
天保12年、土佐藩御馬廻格に跡目を継ぐ。
弘化4年、土佐藩校・教授館の御目付役となる。後、御郡奉行や大御目付。
安政5年、
山内容堂の御側御用を務める。
小八木五衛兵とともに佐幕派中心の土佐藩を支えた。
山内容堂(融通無碍/人物評伝)小八木五衛兵(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
文久2年、横山覚馬は土佐藩主・
山内豊範の参勤交代に随行して上洛する。
山内豊範(融通無碍/人物評伝)
幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP202>
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文久2年11月4日
中川氏の一件(中川侯、偉勅騒動)の顛末を江戸に報告するため東下(江戸に下る)の命を(真吉は)大監察・横山覚馬から伝達される。
真吉は江戸へ、
谷干城は京に留まることになった。藩主(=
山内豊範)らは勅旨を守って京に滞在中だ。
黄昏、京を発し二更(22時)大津駅に至る。
谷干城(融通無碍/人物評伝)山内豊範(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
元治元年、獄中の土佐勤王党関係者(
武市半平太ら)の救出が関係者間で懸命に模索された。
武市半平太(融通無碍/人物評伝)<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP248>
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元治元年6月13日
総勢27名で(武市半平太らの救出)嘆願書を風憲(監察)に出す。(これに応対したのは大監察・
小八木五衛兵、横山覚馬、それに板坂、若尾の諸氏だった。)
小八木五衛兵(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
維新後は閑居し、明治5年死去。享年56。
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元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)ーーーーーーーーーーーーーー
2025.06.01.23.51