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土佐の森・文芸 幕末足軽物語/融通無碍
[人物評伝]
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伊藤甲之助(1844~1864)
樋口真吉(1815~1870)
天保15年、高知城下浦戸町(現・はりまや町)に伊藤源平の長男に生まれる。
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文久元年、
武市半平太の
土佐勤王党に加盟した。(血盟書は68番)

土佐勤王党(NHK動画)土佐勤王党(融通無碍/関連話)武市半平太(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
文久2年、土佐藩主・
山内豊範の参勤交代に随従し上洛。京都では
平井収二郎の借家に同居して、武市半平太に従い国事(尊王攘夷活動)に奔走する。
山内豊範(融通無碍/人物評伝)平井収二郎(融通無碍/人物評伝)
幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP176>
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文久2年6月28日、
吉田東洋暗殺事件のために延期になっていた山内豊範の
参勤交代が出立。
参勤交代行列の人数は通常600人程を、2,000人に増員した大部隊になったと伝えられ、武市半平太をはじめ、小畑孫二郎、
岡本次郎、
久松喜代馬、
島村衛吉、平井収二郎、
山本喜三之進、
大石弥太郎、
谷正方、
安岡覚之助、
小畑孫次郎、伊藤甲之助、
千屋菊次郎ら土佐勤王党の同志も供奉した。真吉も藩主辺警要員で随行している。
岡本次郎(融通無碍/人物評伝)久松喜代馬(融通無碍/人物評伝)島村衛吉(融通無碍/人物評伝)大石弥太郎(融通無碍/人物評伝)谷正方(融通無碍/人物評伝)安岡覚之助(融通無碍/人物評伝)小畑孫次郎(融通無碍/人物評伝)千屋菊次郎(融通無碍/人物評伝)======
[融通無碍]
参勤交代(融通無碍/関連話)
「北山道」と呼ばれる参勤交代の道が残っている。高知城から見て「北の方に抜ける道」ということから「北山道」と言われるようになった。
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京では幕府に対する「攘夷督促」と「御親兵設置」を要求する勅使として正使・
三条実美、副使・
姉小路公知が派遣されることになり、土佐藩主・山内豊範には勅使警衛が命ぜられた。
三条実美(融通無碍/人物評伝)姉小路公知(融通無碍/人物評伝)武市半平太が姉小路の雑掌となり、柳川左門の仮の名が下賜されて江戸へ随行した。
警固役には武市半平太の配下・土佐勤王党の剣豪(
岡田以蔵、
弘瀬健太、
島村衛吉、伊藤甲之助ら)が選ばれた。
岡田以蔵(融通無碍/人物評伝)弘瀬健太(融通無碍/人物評伝)島村衛吉(融通無碍/人物評伝)江戸から帰京後、伊藤甲之助は姉小路公知の護衛になるが、姉小路公知の死後は三条実美の護衛になっている。
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文久3年、伊藤甲之助は
8月18日の政変で、世に言う「七卿落ち」の際にも、三条実美に随行して長州へ下る。

七卿落ちで三條実美ら公家7人が長州へ向かう
8月18日の政変(融通無碍/関連話)~~~~~~~~~~
元治元年、長州藩の忠勇隊(諸藩の脱藩浪士が中心なって結成された長州藩への合力部隊。隊長は
松山深蔵。)に加盟し「
禁門の変」に参戦した。
松山深蔵(融通無碍/人物評伝)禁門の変(融通無碍/関連話)堺町御門の戦いで重症を負い、撤退途中に
大利鼎吉の介錯ので自刃。享年20。
大利鼎吉(融通無碍/人物評伝)辞世の句は
「梓弓 引くも手弱き 身なれ共 思ひいる矢は 豈(あに)劣らめや」
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土佐の森・文芸/融通無碍

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元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)ーーーーーーーーーーーーーー
2025.07.01.22.51