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土佐の森・文芸 融通無碍
[人物評伝]
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細木核太郎(1838~1904)
樋口真吉(1815~1870)
天保9年、高岡郡新居郷本村(現・土佐市)の庄屋・細木繁蔵の長男に生れる。
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文久元年、
武市半平太の土佐勤王党に加盟する。(血盟書は184番)
武市半平太(融通無碍/人物評伝)
土佐勤王党(NHK動画)土佐勤王党(融通無碍/関連話)~~~~~~~~~~
元治元年、土佐勤王党の獄が起こると細木核太郎は
中島与市郎、
中島信行と脱藩して長州へ。(中島与市郎は藩吏に追われて国境を越せずに自刃している。)
幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP264>
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元治元年11月27日
新居(土佐市新居)の郷士・
中島与市郎、同・中島作太郎(=中島信行)、里正・細木元三郎(=
細木核太郎)が21日脱走(脱藩)したという。中島与市郎は中途から土佐に戻り、用井口の境目番所の下番を傷つけ、終に捕えられ自刃したという。
中島与市郎(融通無碍/人物評伝)中島信行(融通無碍/人物評伝)ーーーーーーーー
吾川郡名野川の関所を破り、伊予との国境・水ノ峠に向っていた。
藩は名野川村・大平村など庄屋五家頭に、
『村で獅子砲<猟銃>を持っている者は全員集合させ、池川・大崎村の者と合流して、大明河峠に向っている脱藩者を必ず生け捕りにしろ』との命令を出した。
中島与一郎は足を患い一行と別れ、堂内に籠もって養生中に捕吏民兵に囲まれて憤死した。
細木核太郎、中島信行は捕らわれることなく長州に渡り、中岡慎太郎のもと(
招賢閣)に身を寄せた。
招賢閣(融通無碍/関連話)長州では、遊撃隊に加わり、馬関や三田尻門などで活躍した。
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[融通無碍]
◆遊撃隊
文久3年に
来島又兵衛が町人・農民・諸藩の浪士らを組織して結成した。初代総督として
蛤御門の変で闘った。
来島又兵衛(融通無碍/人物評伝)蛤御門の変(融通無碍/関連話)遊撃隊には土佐藩を脱藩した中島信行、細木核太郎、
池内蔵太、
桑原義之助、
上田宗児らが参加している。
池内蔵太(融通無碍/人物評伝)桑原義之助(融通無碍/人物評伝)上田宗児(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
慶応2年、幕府による
第二次長州征伐の戦いでは長州藩の神機隊士として安芸国佐伯郡宮内で幕府と戦う。
第二次長州征伐(融通無碍/関連話)~~~~~~~~~~
慶応4年、土佐藩から脱藩の罪を許され、戊辰戦争に参陣している。
戊辰戦争では長州藩(因州軍)の山国隊司令士として下野国安塚の戦いで彰義隊と戦い、銃弾を受けて負傷している。
その後、土佐藩
迅衝隊の
会津若松城攻略戦に加わる。
迅衝隊(融通無碍/第56話)ーーーーーーーー
真吉日記(戊辰戦争従軍)から見た
会津若松城攻防戦<慶応4年8月22日~(明治元年)9月22日>
幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP368>
真吉と戊辰戦争(融通無碍/第55話) ~~~~~~~~~~
明治維新後は、高知に在住し、一時期は高知県庁に勤務している。
明治37年、死去。享年67。
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元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)ーーーーーーーーーーーーーー
2025.07.01.22.51