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土佐の森・文芸 融通無碍)
[人物評伝]
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弘光明之助(不詳~1889)
樋口真吉(1815~1870)

高知県南国市前浜
墓石には弘光清水と刻まれている。清水は後年名乗った名で、元の名は明之助。
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文久2年、土佐勤王党に加盟。(173番目の血盟同志。)

土佐勤王党(NHK動画)土佐勤王党(融通無碍/関連話)~~~~~~~~~~
文久3年、長州藩と朝廷内の尊皇攘夷派を排除するためのクーデター(文久3年8月18日の政変/七郷落ち)がおこる。
8月18日の政変(融通無碍/関連話)
七卿落ちで三條実美ら公家7人が長州へ向かう
三条実美をはじめ七卿が都落ちをして長州に。
三条実美(融通無碍/人物評伝) 弘光明之助は三条実美の衛士をしていた
土方久元、
清岡半四郎、
岡甫助らとともに三条実美らの警護役として長州に下った。
土方久元(融通無碍/人物評伝) 清岡半四郎(融通無碍/人物評伝) 岡甫助(融通無碍/人物評伝)ーーーーーーーー
注進のため
岡甫助と帰国して報告するが、脱藩の罪で「追込みの刑(刑罰の一つで、一定の部屋に閉じ込めて出入りを禁ずること)」に処されている。
幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編・・・・・・・・・・・
<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP237>
文久3年9月24日、
弘光明之助と岡甫助が長州から帰国した。その報告の中身は
「備前侯(福岡・黒田家)は長州に同調して上京する。」ということ。
弘光は8月18日の政変の際、三条実美に従って長州・防府に落ち延びたが、土佐に状況報告と尊王の意義を伝えるため舞い戻った。
しかし、一緒に戻った岡とかれは藩から謹慎処分をうけ拘束状態となる。
「黒田家が長州に加担するすること」は当時の状況から判断して、ありうる話ではない。
だが、七鄕落ちに付き従った連中の言うことだから
「虚言を言うな」と厳罰に付すれば後難がが怖い、取りあえず押し込めておけ。菊の紋はは敬遠しておこう。
なかなか厳しい情報管理。方針にそむく雑音を出す輩は世間から遮断し隔離するに限る。
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その後、土佐勤王党の獄で武市半平太らが投獄されると、土佐勤王党の同士の救出活動にあたった。
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慶応4年、戊辰戦争では東征に従軍した。帰国後は新留守居組になっている。
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明治22年、死去。享年50。
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元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)ーーーーーーーーーーーーーー
2025.07.01.22.51