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土佐の森・文芸 融通無碍
[人物評伝]
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岡甫助(1816~1879)
樋口真吉(1815~1870)

高知県香美市土佐山田町中野
文化13年、西野地村の郷士の家に生まれる。
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文久元年、土佐勤王党に加盟。(75番目の血盟同志。)

土佐勤王党(NHK動画)土佐勤王党(融通無碍/関連話)~~~~~~~~~~
文久3年、京都に上って姉小路公知の随身となる。孝明天皇の石清水行幸の際これに供奉した。姉小路が横死した後は三条実美の警護役となっている。
8月18日の政変が起こり、長州藩と三条実美、澤宣嘉ら七卿は京より追放される。「七卿落ち」だ。
8月18日の政変(融通無碍/関連話)岡甫助は、三条実美の衛士をしていた
土方久元、
清岡半四郎、
弘光明之助らとともに警護役として長州に下った。
土方久元(融通無碍/人物評伝) 清岡半四郎(融通無碍/人物評伝) 弘光明之助(融通無碍/人物評伝)
幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編・・・・・・・・・・・
<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP237>
文久2年9月24日、
弘光明之助と岡甫助が長州から帰国した。その報告の中身は
「備前侯(福岡・黒田家)は長州に同調して上京する。」ということ。
弘光は8月18日の政変の際、三条実美に従って長州・防府に落ち延びたが、土佐に状況報告と尊王の意義を伝えるため舞い戻った。
しかし、一緒に戻った岡とかれは藩から謹慎処分をうけ拘束状態となる。
「黒田家が長州に加担するすること」は当時の状況から判断して、ありうる話ではない。
だが、七鄕落ちに付き従った連中の言うことだから
「虚言を言うな」と厳罰に付すれば後難がが怖い、取りあえず押し込めておけ。菊の紋はは敬遠しておこう。
なかなか厳しい情報管理。方針にそむく雑音を出す輩は世間から遮断し隔離するに限る。
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慶応4年、戊辰戦争では52才の老骨ながら(因みに真吉は54才)東征軍
迅衝隊員として活躍したが、会津若松を攻めたとき重傷を負っている。
迅衝隊(融通無碍/第56話)~~~~~~~~~~
明治12年、病死。享年64。
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元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)ーーーーーーーーーーーーーー
2025.07.01.22.51