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土佐の森・文芸 融通無碍
[人物評伝]
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岡本恒之助(生年不詳~1867)
樋口真吉(1815~1870)
高知城下・小高坂村に土佐藩士の子として生まれる。
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文久元年、
武市半平太が江戸で土佐勤王党を結成して土佐に戻ったとき真っ先に加盟した。(血盟書には10番目署名)
武市半平太(融通無碍/人物評伝)
土佐勤王党(NHK動画)土佐勤王党(融通無碍/関連話)~~~~~~~~~~
文久3年、土佐勤王党弾圧により武市半平太ら多くの同士が牢に繋がれた。
幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP232>
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文久3年7月7日、
金100匹を(切腹した)
平井収二郎らの借財返済のために出す。岡本恒之助に持たせる。
平井収二郎(融通無碍/人物評伝)======
[融通無碍]
志士が死ぬと借金が残る。仲間が尻拭いする。すべては慣例なり。
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元治元年、獄中の土佐勤王党の同士救出が懸命に模索された。特に首領格の武市半平太を早急に釈放させることは喫緊の課題だった。
岡本恒之助は
大石弥太郎、
上田楠次、
川原塚茂太郎、
佐井寅次郎、
谷作七ら総勢27名で「建白書」を土佐藩風憲(監察)に提出した。)
大石弥太郎(融通無碍/人物評伝)上田楠次(融通無碍/南史観<人物評伝>)川原塚茂太郎(融通無碍/人物評伝)佐井寅次郎(融通無碍/人物評伝)谷作七(融通無碍/人物評伝)ーーーーーーーー
<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP248>
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元治元年6月13日、
(岡本恒之助をはじめ署名した)総勢27名で「建白書」を土佐藩風憲(監察)に出す。
これに応対したのは大監察・
小八木五衛兵、
横山覚馬それに板坂、若尾の諸氏だった。(小八木、横山ともに土佐藩の佐幕派幹部のため却下される。)
小八木五衛兵(融通無碍/人物評伝)横山覚馬(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
慶応3年、病没。
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元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)ーーーーーーーーーーーーーー
2025.07.01.23.51