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土佐の森・文芸 融通無碍
[人物評伝]
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島村外内(生没年不詳)
樋口真吉(1815~1870)
土佐国香美郡下島村郷士・島村潮成の長男として生まれる。
島村衛吉は実弟で
島村寿之助は叔父にあたる。
島村衛吉(融通無碍/人物評伝)島村寿之助(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
[維新土佐勤王史(瑞山会編纂)より]
万延元年7月、武市半平太は剣術修行のため、門下生3名(
島村外内、
久松喜代馬、
岡田以蔵)を連れて九州を遊歴した。旅の途中で
髙松太郎と遭遇して懇意になる。
久松喜代馬(融通無碍/人物評伝)岡田以蔵(融通無碍/人物評伝)髙松太郎(融通無碍/人物評伝)その帰途、宿毛、中村に立ち寄っている。
維新土佐勤王史に
「海岸を迂回しつつ土佐の西端・宿毛に入り、さらに幡多郡庁の所在地なる中村を経て、至る処に有志の剣客を訪い、高知新町に帰着せり。然るに、瑞山(半平太)が行李中に在りしものは「霊の真柱」一部と、宿毛にて購ひたる南海太郎朝尊の新刀のみ」とある。
宿毛では、岡添家を宿として多少長期間滞在したらしいが、中村滞在の模様の詳細は判っていない。(この時期、真吉は中村にはいなかったが樋口甚内が師範代を務める「樋口道場」には立ち寄ったかもしれない。)
宿毛ではしばらく留って、宿毛の家士たちに剣術の稽古をつけている。
宿毛の人達が剣術を学んだのには、次のような話が伝えられている。
「宿毛で常盤神社の奉納試合があったが、宿毛の侍達は中村の樋口真吉、甚内兄弟に、さんざん負け、これではいかないと思っていた時に剣豪の武市半平太・岡田以蔵が来たので、稽古をつけてもらったのである。」(竹村照馬氏談)
宿毛のこと(幕末足軽物語/関連話)~~~~~~~~~~
文久元年、武市半平太、
大石弥太郎らによって土佐勤王党が結成されると加わり尊攘活動に奔走する。(血盟書は180番)
大石弥太郎(融通無碍/人物評伝)
土佐勤王党(NHK動画)土佐勤王党(融通無碍/関連話)ーーーーーーーー
武市半平太が江戸で土佐勤王党を立上げ在郷中の同志を糾合するため、大石弥太郎が起草した盟約書(血盟書)を携えて(島村衛吉、
柳井健次、
河野万寿弥の3名を従え)土佐へ下った。
柳井健次(融通無碍/人物評伝)河野万寿弥(融通無碍/人物評伝)武市半平太は土佐藩大監察/大目付の
平井政実、
小南五郎右衛門の上士尊王派2名をたずね、土佐勤王党糾合の協力を取り付けた。
平井政実(融通無碍/人物評伝)小南五郎右衛門(融通無碍/人物評伝)さらに、
島村寿太郎、島村寿之助、
島村外内<島村寿之助の甥>、
多田哲馬、
上田楠次の5名を武市家に集め、土佐七郡における同志糾合を依頼した。
島村寿太郎(融通無碍/人物評伝)多田哲馬(融通無碍/人物評伝)上田楠次(融通無碍/人物評伝)この武市半平太の勧誘運動は足掛け3年にもおよび、
土佐勤王党の盟約書に残るだけでも192名が名をつらねた。
土佐勤王党の盟約書(融通無碍/関連話)**************
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元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)ーーーーーーーーーーーーーー
2025.07.01.23.55