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土佐の森・文芸 融通無碍
[人物評伝]
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園村新作(1828~1889)
樋口真吉(1815~1870)
文政11年、土佐藩士の家に生まれる。
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文久2年、吉田東洋が土佐勤王党の
那須信吾らに暗殺された。
園村新作は土佐藩主・
山内豊範に藩論を尊王攘夷に転換するよう進言した。(このことにより園村新作は土佐勤王党のシンパと見なされることに。後の「土佐勤王党の獄で」入牢している。
山内豊範(融通無碍/人物評伝)那須信吾(融通無碍/人物評伝)ーーーーーーーー
《
佐々木高行の日記(=保古飛呂比
魚の目<魚住昭>より])に、園村新作の処分(入牢)理由が記されている。》
園村新作 右の者、去る戌年(文久2年)、吉田東洋の横死の際、お目通りを願い出て不束(ふつつか)なことをいろいろ申し上げ、太守さま(山内豊範)に迫ったのは不届きの至りである。太守さまはご不快に思われた。
右の子細について吟味したところ、申し開きはなく、恐れ入り奉ったということを申し出た。
しかしながら、右の振る舞いにつき、太守さまはなお重大に考えておられる。このため(園村の)格禄名字帯刀(の特権を)没収し、倅の勇馬へ生涯「宰[ママ]置候」(※御預けにするという意味か)よう命ぜられるはずのところ、勇馬は幼年のため、当面牢舎入りを命ぜられる。
新作の総領 園村勇馬 右の者、太守さまのご慈恵により、父の新作の元の知行高のうち100石を与え、格式は御小姓組とする。
佐々木高行(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
文久3年、
島本審次郎らによる「
100両事件」が起こる。(園村新作も関わったとされる。)
島本審次郎(融通無碍/人物評伝)100両事件(融通無碍/関連話)~~~~~~~~~~
慶応元年、
武市半平太、島本審次郎が獄中で「100両事件」について審議される。園村新作は関係者として獄につながれる。
武市半平太(融通無碍/人物評伝)・・・・・・・・・・・
<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP271>
慶応元年5年11日
岡田以蔵、
久松喜代馬、
村田忠三郎、
岡本八之助の4人が牢屋において斬首された。
岡田以蔵(融通無碍/人物評伝)久松喜代馬(融通無碍/人物評伝)村田忠三郎(融通無碍/人物評伝)岡本八之助(融通無碍/人物評伝)園村新作、島本審次郎、
島村寿之助、
安岡覚之助、
河埜万寿弥、
森田金次郎、
小畑孫次郎、
小畑孫三郎、
吉永良吉、
山本喜三之進らは引き続き牢屋に監禁され、
小南五郎右衛門殿は御預け処分となった。
島村寿之助(融通無碍/人物評伝)安岡覚之助(融通無碍/人物評伝)河埜万寿彌(融通無碍/人物評伝)森田金次郎(融通無碍/人物評伝)小畑孫次郎(融通無碍/人物評伝)小畑孫三郎(融通無碍/人物評伝)吉永良吉(融通無碍/人物評伝)山本喜三之進(融通無碍/人物評伝)小南五郎右衛門(融通無碍/人物評伝)武市半平太は屠腹(切腹)を命じられた。
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慶応3年、
板垣退助は土佐勤王党弾圧で投獄されていた園村新作、森田金三郎、島村寿之助、安岡覚之助、小畑孫次郎、山本喜三之進、吉永良吉、島本審次郎らを赦免・釈放した。
板垣退助(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
明治22年、死去。享年62。
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