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土佐の森・文芸 融通無碍
[人物評伝]
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上田蜂馬(生没年不詳)
樋口真吉(1815~1870)
天保8年、土佐国土佐郡江口村で土佐藩士として生まれる。
上田楠次は実兄。
上田楠次(融通無碍/人物評伝)間崎哲馬に学ぶ。
間崎哲馬(融通無碍/人物評伝)~~~~~~~~~~
文久元年、兄・上田楠次が土佐藩士として江戸に勤務していた時、江戸で
武市半平太が土佐勤王党を立上げた。
在郷中の同志を糾合するため、盟約書(血盟書)を携えて(
島村衛吉、
柳井健次、
河野万寿弥の3名を従え)土佐へ下った。
武市半平太(融通無碍/人物評伝)島村衛吉(融通無碍/人物評伝)柳井健次(融通無碍/人物評伝)河野万寿弥(融通無碍/人物評伝)
土佐勤王党(NHK動画)土佐勤王党(融通無碍/南史観<私観>)ーーーーーーーー
武市半平太は土佐藩大監察/大目付の
平井政実、
小南五郎右衛門の上士尊王派2名をたずね、土佐勤王党糾合の協力を取り付けた。
平井政実(融通無碍/人物評伝)小南五郎右衛門(融通無碍/人物評伝)さらに、兄上田楠次は
島村寿太郎・
島村寿之助・島村外内・
多田哲馬とともに武市家に集められ、土佐七郡における同志勧誘を依頼された。上田楠次はこの時に署名(12番目)している。
島村寿太郎(融通無碍/人物評伝)島村寿之助(融通無碍/人物評伝)多田哲馬(融通無碍/人物評伝)この武市半平太の勧誘運動は足掛け3年にもおよび、
土佐勤王党の盟約書に残るだけでも192名が名をつらねた。
土佐勤王党の盟約書(融通無碍/第55話)ーーーーーーーー
上田蜂馬は兄・上田楠次の影響を受け土佐勤王党へ加盟した。(130番目)
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元高知県知事橋本大二郎氏
南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)ーーーーーーーーーーーーーー
2025.07.01.22.51