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融通無碍(南寿吉著)
幕末足軽物語/保古飛呂比<ほご拾い>集
南史観<私観><人物評伝><脱線話>等々
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◆土佐の中村
一箇所に定住し妻子を守り堅実に暮らす農民・商人そして諸職の町・中村。
土佐の中村は大河四万十を見ながらの暮らしがある町だ。
土佐の中村(融通無碍/南史観<私観>)海に生きる人々は一所不住ともいうべき気性が身につかざるを得ない。板子一枚下は地獄で、目の前に広がる海は大難<だいなん>。
大難とは仏教用語で海を意味するらしい。
漁師は「はるか沖の海」という意味で使う。
恐怖の海という意味合いが強い。死に直面する暮らし故、信仰も篤い漁村が多い・・・
国境は線ではなく帯だ。この帯の世界にこそ豊かな世界が広がっている。
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[第1話]様々な生き方真吉はひとつにこだわることを嫌った。
人はそれぞれだし自分の考えを押し付けることはよくない。
目的を達するに方法はひとつではない。
融通無碍でいけばいい。
融通無碍/第1話<個別版/1件>******************
[第2話]川の流れのように生まれたからには死に向かうのみ。それは正しい。
だが、生から死へは一直線だろうか。
川の流れのように岸を削りながら淀みながら行くのが人生ではないか。
人生は直線のコンクリート水路ではなく、右往左往しながらいく自然な流れがいい。
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[第3話]中村・下田のこと四万十川河口にある
中村・下田は上方<かみがた>を往復する船も多く、水主(土佐では『すいしゅ』、他地域では『かこ』と読む)の数多く住む町であった。
この地は進取の気象に富み言葉遣いも荒々しく『お町・中村』のお上品さとは趣を異にする独特の雰囲気をもった地域とされていた。鎖国期の長崎のような役割をこの港町は土佐で果たしている。
融通無碍/第3話<個別版/1件>******************
[第4話]伊豆・下田でのこと文久3年(1863)1月15日夜、
伊豆・下田の宝福寺で行なわれた土佐藩主山内容堂と幕臣・勝海舟(麟太郎)との会談について述べる。
この話し合いで坂本龍馬は前年3月に犯した脱藩の罪を許された。赦免である。
融通無碍/第4話<個別版/2件>******************
[第5話]黒船来航嘉永3年(1850)秋、
下田の沖にアメリカ合衆国海軍東インド艦隊(ペリー提督)の黒船が来航した。
嘉永3年といえば、土佐の高知では若き坂本竜馬が四万十川の改修工事の現場監督として幡多の中村にやってきた年である。
黒船来航ー揺れる江戸幕府ー(NHK動画)融通無碍/第5話<個別版/1件>******************
[第6話]下田の風景中村・下田で、海と川とが交わる有様を見ることに親しんだ真吉は体得していた。
『世の流れは海と川との関係と同じだ』と。
両者が交わる汽水域にこそ豊かな何かがある。
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[第7話]峠峠は物思いする場所。
人は峠に立ち、来し方と行く末を思う。
融通無碍/第7話<個別版/1件>******************
[第8話]旅人よ旅は人をつくる。
ことに、若いころに旅を体験すれば、かれの人格の骨組みを組み立てるのに大まかな方向性を得ることが可能だ。
融通無碍/第8話<個別版/9件>******************
[第9話]砲術旧来の和式砲術は関ヶ原の戦い以降、戦争は国内で起らなかったため約240年間ほとんど進歩せず、化石的技術に成り果てていた。
融通無碍/第9話<個別版/9件>******************
[第10話]幕末の志士像(徳川の世と新時代/明治維新)幕末の一般的な志士像は女が大好物で、花柳界の女性を『解語の花』=美しくてしかも自分の言うことを理解してにっこりと笑む存在=として珍重・溺愛した。
幕末の志士(維新の群像/高知県梼原町)
融通無碍/第10話<個別版/1件>******************
[第11話]長崎独行天保10年<1839>に勃発し、2年間にわたる日本の隣国・清と大英帝国との戦争=阿片戦争の詳細(敗戦後の清国の悲惨な情報)が真吉に続々届いてくる。長崎からこの情報を得た真吉は居ても立ってもいられない。
今のままでは日本は清の二の舞になるのは必至だ。
蒸気船と大砲(砲術)だ。この研究が焦眉の急だ。行かねばなるまい、長崎へ。
融通無碍/第11話<個別版/2件>******************
[第12話]日本漫遊の旅真吉は旅の人であった。
その極わみともいうべき壮大な旅は嘉永5年(1852)5月から翌年3月6日まで続いた。
高知を発し、九州各地を転々、中国筋、京大坂、東海道、そして江戸に入る。
行く先々での情報交換と知遇を得た人々から、真吉の人脈は急速度で拡大した。
「日本漫遊の旅」の出発点は四万十川だ。
融通無碍/第12話<個別版/13件>******************
[第13話]日記・倦遣録『倦遣録』は、文久元年9月3日から慶応3年2月26日までの真吉の日記だ。
この日記は、暗号・隠語に満ちて難解だ。が限りを尽して解読した。
同じ時期を扱った「愚庵筆記」、「壬戊日記」という記録も真吉は残したから、これらも参照しながら解読作業を進めた。(南寿吉)
倦遣録<けんけんろく>(原本:四万十市立郷土資料館蔵)
融通無碍/第13話<個別版/25件>******************
[第14話]日記・戊辰戦争従軍戊辰戦争は王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。
名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する。
明治新政府が同戦争に勝利し、国内に他の交戦団体が消滅したことにより、列強が条約による内戦への局外中立を解除し、これ以降、同政府が日本を統治する合法政府として国際的に認められることとなった。
融通無碍/第14話<個別版/16件>******************
[第15話]夜明け前安政7年3月、桜田門外で大老・井伊直弼が暗殺され万延と改元されるがこの元号、満一年も経たぬ翌年2月19日、文久に改まる。
文久4年2月に改元され「元治元年」となったが、翌年には改元され「慶応」になっている。さらに慶応4年(1868/戊辰の年)の秋に改元され明治となる。新日本の夜明けだ。
明治になるまでの夜明け前、目まぐるしく改元が繰りかえされた。
桜田門外の変(1860.3.3)
融通無碍/第15話<個別版/1件>******************
[第16話]子を弔う 子を思う安政4年<1857>7月上旬(新暦なら8月24日前後)、真吉の長男・鵬丸が俄かに発病する。
わが子の病は次第に重くなり、8月2日夭逝する。
融通無碍/第16話<個別版/2件>******************
[第17話]真吉の生き様漢(おとこ)は一仕事、終れば去るがいい。歴史の海に消えるがいい。
樋口真吉を偲ぶには四万十河口の下田の高台に立てばよい。
潮騒、浮雲、潮の香り。
人生 一片の雲
寄せては返す 波の音
融通無碍/第17話<個別版/1件>第17話/別稿・関連話(<個別版/12件>)******************
[第18話]風になって 旅人になり知らぬ町を訪れると
最初に高台に上り、
風になって全体像をつかむ。
そこから下りて町中に入り細部を見て回る。
こういう方式を取ることが常套法だった。
融通無碍/第18話<個別版/1件>******************
[第19話]横浜の新聞幕末には、横浜に外国人居留地があったから外人に向けた新聞志(紙)が発行されていた。
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[第20話]新聞社新聞社の株式は公開されない。少数株主≒創業者一族の独占企業である。非公開の理由は、公開すれば多数の株主が誕生し、株主たちの意向をうけて新聞の公器たる姿勢が歪められる可能性が生じるからとされているらしい。
結果、公正であるべき新聞はごく限られた小数株主の意向に左右されているのではないか、という一応の理屈が通った懸念もある。
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[第21話]予定調和アベノミクス(施政方針演説/安倍首相/2018.1.22)安倍首相は「この道しかない」と言ったそうだが、それは予定調和の道ではないか。
予定調和は一見合理的だが、あてが外れると、とんでもない事になる。
誰も望んでいないような目的地にみちびく道は願い下げだ。
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[第22話]東西決戦と土佐の国東西決戦は、田で働く牛と畑に生きる馬の戦いともいえるか。平野、平原の多い関東、多くの水流に恵まれ田んぼが多い関西。
当時は米を主体とする経済(=コメ本位制)であり、米すなわち金であるから、より広い農地をおさえた武将が富者たりえた。戦国時代の争い、それに先立つ源平の軍などは、土地領有権をめぐる抗争・争奪戦とみることができる。
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[第23話]人生は旅人生は旅、
その終わりはいつ来るか、分からない。
若い頃の旅を思う。
融通無碍/第23話<個別版/9件>******************
[第24話]幕末足軽物語(南寿吉著)のこと幕末足軽物語の著作者・南寿吉(=故田所賢一氏)が身罷ったのは、令和に改元された直後の2019年(平成31年=令和元年)6月。
(奇しくも遡ること150年前の1870年(明治3年)6月<14日>に、幕末足軽物語の主人公・樋口真吉が東京麻布の客舎にて病没しています。)
南寿吉の一周忌(令和2年6月)に、田所氏の遺族から南寿吉の渾身の遺稿『幕末足軽物語』<未公開/データ>が形見分けとして高校時代からの友人・森薫氏に手渡されました。
「幕末足軽物語/ノンフィクション編」原稿<データ>のこと融通無碍/第24話<個別版/16件>******************
[第25話]信四郎の足軽物語晴れ渡った秋空と一片の雲と赤鉄橋(四万十市中村)
樋口信四郎
安永8年<1776>土佐長岡郡大津に生を享け、
嘉永元年<1848>土佐中村でその人生を終えた。享年73。
『人生は空に浮かぶ一片の雲』という言を残した。
堂々たる生涯であった。
融通無碍/第25話<個別版/18件>******************
[第26話]竜馬 四万十川にゆく嘉永3年<1850>の秋、土佐藩直轄の四万十川改修工事が始まる。この改修工事に藩庁の幡多郷士への動員令が下り、ひとりの若者が四万十川(土佐藩幡多奉行所)に派遣される。
派遣された若者は、姓は坂本、名は竜馬。
融通無碍/関連話・竜馬の四万十川伝説融通無碍/第26話<個別版/18件>******************
[第27話]慶応3年(丁卯上京誌)◆四侯会議
薩摩藩(西郷隆盛)が画策する四侯会議は、慶応3年5月初旬から中旬にわたり8回にわたって京都で開催された。
薩摩藩国父・島津久光、越前・松平春嶽、土佐・山内容堂、宇和島・伊達宗城が、直面する二つの政治課題「長州処分(赦免)」と「兵庫開港」について話し合い、将軍徳川慶喜との交渉に臨んだ。
5月14日の初会合では、慶喜たっての要請で久光や容堂ら4人は二条城で記念写真を撮影した。写真が趣味の慶喜が自ら撮ったという。
四侯会議の際に徳川慶喜が撮影したとされる写真。(右上から時計回りに)島津久光、山内容堂、伊達宗城、松平春嶽(福井市立郷土歴史博物館所蔵)
四侯会議(かごしま明治維新特集/南日本新聞)島津久光(融通無碍/南史観<人物評伝>)山内容堂(融通無碍/南史観<人物評伝>)伊達宗城(融通無碍/南史観<人物評伝>)松平春嶽(融通無碍/南史観<人物評伝>)~~~~~~~~~
幕末足軽物語/関連話<慶応3年の大芝居>融通無碍/第27話<個別版/5件>******************
[第28話]日記:戊辰戦争従軍この日記は、樋口真吉が戊辰戦争に従軍した時の物語(日記)です。
物語は、慶応4年元旦(真吉54歳)、伏見に会津兵が布陣している中、
谷守部(干城)が土佐藩に帰るところから始まり、
谷千城(融通無碍/南史観<人物評伝>)明治元年11月30日、会津戦争に勝利し東京そして高知に凱旋、かって真吉も教授を務めた
土佐藩校致道館を訪れるところで終わっている。
融通無碍/第28話<個別版/13件>******************
[第29話]日記:薩長への謝恩の旅明治2年2月から4月にかけて真吉は薩長(薩摩及び長州)に藩命を帯びて旅行する。
この旅行目的は先の戦争で薩長からの応援を得て勝利を収めたからその恩を謝するための使いだった。真吉55歳。
融通無碍/第29話<個別版/12件>******************
[第30話]日記:倦遣録/樋口真吉樋口真吉の残した『倦遣録(けんけんろく)』(原本:四万十市立郷土資料館)
この日記は暗号・隠語に満ちて難解だ。
が、限りを尽して解読した。誤釈あれば許しを請うのみ。
文久元年<1861>9月3日から慶応3年<1867>2月26日までの日記だ。
融通無碍/第30話<個別版/47件>******************
[第31話]文久という時代のこと文久元年(1861)文久という時代は
文久元年から文久4年(=元治元年)まで、幕末の激動の3年間だ。
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[第32話]慶応という時代のこと大政奉還(慶応3年10月13日)
慶応元年(1865)慶応という時代は
慶応元年から慶応4年(=明治元年)まで、幕末の激動の3年間だ。
融通無碍/第32話<個別版/60件>******************
[第33話]ユニオン号のこと神戸海軍操練所跡
ユニオン号とは?(Wikipediaより)
全長45メートル、排水量300トンの木製蒸気船で、イギリスで建造された。
慶応元年、長州藩が資金50,000両を出し、グラバー商会から薩摩藩の名義で購入、龍馬の亀山社中が操船するという「桜島丸協定」が結ばれた。
薩摩藩は「桜島丸」と名付けたが、長州藩では「乙丑丸」(いっちゅうまる)と呼んだ。
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[第34話]明治という時代のこと明治元年(1868)維新の年は明けた。
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明治元年<=慶応4年>(1868)真吉、54歳
慶応4年/戊辰の年、秋には改元され明治となる。
明治元年(融通無碍/南史観<私観>)融通無碍/第34話<個別版/25件>******************
[第35話]小五郎の手紙「
薩長同盟裏書」を受け取ったという礼状であるとともに、伏見寺田屋で襲われたことの「龍馬の手紙」を受け取っての見舞状である。
薩長同盟(融通無碍/第38話)「大兄(龍馬)が伏見で襲われたことには驚いたが、何とか逃れたということで安堵した。大兄は公明で寛大なのは良いが、あまりに無用心なので心配だ。世の中が良くなるまではくれぐれもご用心下さい。」と忠告している。
なお、龍馬に宛てた「木戸孝允の手紙」は、土佐にいる龍馬の兄への手紙に添えて(同封して)送っている。当時の著名人・桂小五郎との交友を実家の家族に自慢するために送ったらしい。
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[第36話]幕末足軽物語 完結!龍馬は、幕末初級者コース。真吉は、幕末上級者コース。(角田慶子)
四万十市郷土博物館融通無碍/第36話<関連話/33件>******************
[第37話]幕末足軽物語/リーブル出版融通無碍/第37話<個別版/10件>ーーーーーーーーーーーーーーー
◆幕末足軽物語/関連話
ブログ版『幕末足軽物語/融通無碍編』を発信する過程で、故人と関わりがある多くの方から関連のお話(情報・歴史事象)などいただきました。
それらの情報を、その都度「幕末足軽物語/関連話」として、出来うる限り「幕末足軽物語」と関連づけて整理・編集・発信してきました。
(情報をお寄せいただいた多くの方に感謝申し上げます。)
これらの情報は『幕末足軽物語=樋口真吉』との直接的な関わりが薄い歴史事象のため、南寿吉氏も著作本の中では深入りせず、あえて記述も控えめにしたものと思われます。
しかし、間接的には『幕末足軽物語=樋口真吉』とも非常に関わりが深いものばかり(=幕末史のキーポイントとなる歴史事象ばかり・・・)なので、情報をお寄せいただいた方々には特段お断りをしていませんが、『幕末足軽物語/関連話』として、随時ブログで編集・公開しています。
幕末足軽物語/関連話のことこれまでは、単発的に掲載<アップ>してきましたが、1月からある程度まとまりのある関連話を「特集版」として、ブログで編集・公開することにしました。
初回は、高知新聞が発信元で「1月17日のこと(高知新聞)」及び「民撰議院設立建白書」を1月17日にアップしました。
幕末足軽物語/関連話・特集版①<1月17日のこと>幕末足軽物語/関連話・特集版②<民撰議院設立建白書>******************
[第38話]薩長同盟坂本龍馬が「薩長同盟」の腹案を打ち出したのは、慶応元年<元治2年>3月に遡る。
長州藩では、攘夷倒幕のための薩長連合を実現する動きがあり、龍馬が懇意にしていた長府藩士・印藤聿から相談を持ちかけられた。
それに対する龍馬の思いを伝えた印藤聿宛ての「龍馬の手紙」がある。
龍馬の手紙(印藤聿宛て)「薩長同盟」までのこと融通無碍/第38話<個別版/10件>******************
[第39話]慶応3年の大芝居桂小五郎に宛てた「龍馬の手紙」がある。
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一筆書かせて頂きます。
先日の書面にあった(
四侯会議後の薩摩、長州、土佐による)
大芝居の件はかねて知っていたことだけど、実におもしろい。それがわかった時、いよいよ奮発しました。
融通無碍/第39話<個別版/10件>ーーーーーーーーーーーーーーー
[幕末足軽物語/関連話・特集版]
幕末足軽物語/関連話・特集版③<大芝居の役者たち>******************
[第40話]~
未定ではあるが当面の間、続けることになりそう。
(日々の時間はたっぷりあるが、残り時間が問題だ・・・ん?)
《「幕末足軽物語/関連話」を、お寄せください。》
幕末足軽物語/関連話のこと~~~~~~~~~~~
[1部]
[第1話] 様々な生き方
[第2話] 川の流れのように
[第3話] 中村・下田のこと
[第4話] 伊豆・下田でのこと
[第5話] 黒船来航
[第6話] 下田の風景
[第7話] 峠
[第8話] 旅人よ
[第9話] 砲術
[第10話]幕末の志士像
[第11話]長崎独行
[第12話]日本漫遊の旅
[第13話]倦遣録
[第14話]戊辰戦争従軍
[第15話]夜明け前
[第16話]子を弔う 子を思う
[第17話]真吉の生き様
[第18話]風になって
[第19話]横浜の新聞
[第20話]新聞社
[第21話]予定調和
[第22話]東西決戦と土佐の国
[第23話]人生は旅
[第24話]幕末足軽物語のこと
~~~~~~~~~~~
[2部]
[第25話]信四郎の足軽物語
[第26話]竜馬 四万十川にゆく
[第27話]慶応3年/丁卯上京誌
[第28話]日記:戊辰戦争従軍/樋口真吉
[第29話]日記:薩長への旅/樋口真吉
[第30話]日記:倦遣録/樋口真吉
[第31話]文久という時代のこと
[第32話]慶応という時代のこと
[第33話]ユニオン号のこと
[第34話]明治という時代のこと
[第35話]桂小五郎の手紙
[第36話]幕末足軽物語/完結編 完成!!
[第37話]幕末足軽物語/リーブル出版
~~~~~~~~~~~
[3部]
[第38話]薩長同盟
[第39話]慶応3年の大芝居
[第40話]王政復古の大号令
[第41話]薩摩藩邸焼討ち事件
[第42話]龍馬と永井尚志
[第43話]暗殺5日前の「龍馬の手紙」
[第44話]慶応4年の大活劇
[第45話]将軍・慶喜が会津・松平容保を道連れに遁走
[第46話]龍馬書簡のこと
[第47話]龍馬の手紙
~~~~~~~~~~~
[3部]
[第48話]真吉の旅日記(1)
[第49話]真吉の旅日記(2)
[第50話]人生は旅である
[第51話]中村・下田に黒船来航!?
[第52話]真吉の6連銃
[第53話]自然観
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ブログ
土佐の森・文芸/幕末足軽物語(南寿吉著)
編集・発行
土佐の森グループ/ブログ事務局
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南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)・・・・・・・・・・・・
2024.1.1.23.58